丸谷才一が1961年2月に書き上げた中編小説。
年代的には、最初の長編小説 『エホバの顔を避けて』 と、次の長編小説 『笹まくら』の間に位置することになる。
丸谷氏の作品に、このような小説が存在していたことは知らなかったので、興味本位で買ってみた。
物語は、1960年10月21日の夜、会社のタイピスト(もはや死語か)として勤める二十六歳の女性の一人きりの夜の部屋でふける物思いからはじまり、不倫関係にある四十三歳の会社重役の男、大久保の応接間の風景に移り、将来に不安を持つ新劇(これも死語か)俳優の子供も妻もいる三十五歳の弟がいて、所属する劇団では人間関係に苦労しながらも、コメディアンの夫を持つ女優との密会を楽しんでいる…という具合に物語が、二人の大久保兄弟を中心に少しずつ広がり交互に話が進んでいく。
ここまでは、ちょっと好色の中年の兄弟のごく普通の物語だが、物語の冒頭、タイピストの女性が大久保に語った死後の話から生じた死への恐怖が常にこの物語の中心にある。
この死後の話というのが、ある意味、的外れではないかというぐらい奇妙で、不気味な考え方なのだが、どこかに老いを感じはじめていた二人の兄弟は穴に落ちていくように、その死の呪縛に自ら陥っていく。
物語は、1960年12月2日、兄は死んだ友人の四十九日(正確には四十三日)の法要の帰りに代議士の友人と寄ったクラブで起こった事件で、弟は所属する劇団が演じるチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の公演が終わりひとくぎりついたところで、意外な展開を迎える。
大久保兄弟は、兄には『笹まくら』の浜田、『たった一人の反乱』の馬渕の面影があるし、弟には、同じく『たった一人の反乱』の貝塚の面影がある。
また、死の恐怖という呪術的なところでは、『横しぐれ』、『樹影譚』につながるところもあり、丸谷氏の代表的な作品につながっていくプロトタイプのような作品ともいえる非常に興味深い小説だ。
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