宮城県石巻 大川小学校では、あの震災の日、津波で全校児童108人のうち70人が亡くなり、4人が行方不明、先生も10名亡くなられた。
番組では、亡くなった子供たちを未だに思い続けている遺族が紹介されていた。
子供たちと一緒に作っていた自家製キムチに子供たちの名前をつける祖父、
小学校六年生の娘を失い、自分がその場にいたら救えただろうかと自問する中学校の教師。
そして、自分の息子が子供たちを守れなかったことを申し訳なく思い、息子への思いも公言できず、ひっそりと暮らしている、亡くなった二十代の教師の両親。
この番組でもっとも印象に残ったのが、その教師の両親が、「私たちはその場にいた先生を責めるつもりはありません」というコメントを亡くなった生徒たちの遺族が記者会見で述べたことを新聞記事で読んだときに救われたという話だった。
思いは言葉にして表現することが大事なのだと改めて思った。
道義的に見ても、その教師の両親が責められるべき立場では決してないのに、亡くなった息子の思いをまるごと受け止め、息子が救うことができなかったクラスの生徒たちの写真を畑仕事に行く際にずっと持ち続けている姿に心を打たれた。
震災後、その両親が葉牡丹を育てている畑の隣で、畑を耕していた婦人が、両親と話を交わすようになり、ふとしたことで写真を見つけ、その教師のクラスに亡くなった自分の孫がいたことをはじめて知ったという。
その婦人の勧めで、両親が育てた葉牡丹が大川小学校の中庭に飾られたという話に、どことなく安堵感を覚えた。
あれから、もう少しで2年。
でも、いまだに失った人々を思い続け、悲しみに耐えながら日々を静かに過ごしている人たちがいるのだということを忘れたくはないと思った。
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