本書も短編ながらクライストらしい劇的な運命の変化が人々を揺れ動かす。
十四世紀末頃のドイツ、大公の暗殺事件が起き、大公を殺した弓矢の細工から、容疑者として、異母弟のヤーコプ伯が疑われる。
ヤーコプ伯は告発されるが、法廷の場で、事件のあった夜、実は美しい未亡人リッテガルデ夫人と共に過ごしていたと自らの潔白を証言する。
リッテガルデ夫人は全く身に覚えがなかったが、その証言のせいでリッテガルの父はショックのあまり命を落とし、彼女の主張を信じない兄たちには勘当されてしまう。行き場のなくなったリッテガルデは、彼女を恋い慕っていたフリードリヒ侍従を頼る。
フリードリヒ侍従は、リッテガルデの潔白を証明するために、ヤーコプ伯と決闘するが、重傷を負わされて敗北する。
フリードリヒは命を取り留めるが、絶望したリッテガルデは牢獄の中で無言を貫き、会いに行ったフリードリヒを激しい言葉で拒絶する。しかし、改めてリッテガルデが身の潔白を告白すると、フリードリヒは、彼の母の制止も聞かず、気持ちは再び高揚する。
フリードリヒとリッテガルデは偽証罪で火刑に処せられることになるが、奇妙なことにフリードリヒの傷は全快する一方で、決闘の際、ヤーコプ伯はフリードリヒがわずかに傷つけた軽傷が悪化して膿み、腕まで切り落とすこととなり、瀕死の状態になる。
さらにヤーコプ伯に追い打ちをかけるように、彼が密通していたのが実はリッテガルデの小間使であるロザリーであったことが明らかになる。(ヤーコプ伯はロザリーだとは知らず)
皇帝の面前での処刑の日、ヤーコプ伯は、にフリードリヒの傷が軽傷で自分の傷が命を危うくしていること自体が神の託宣であること、自分の不義の相手はロザリーであったことを告白する。
皇帝は火刑台に自ら近寄り、フリードリヒとリッテガルデを解き放ち、真実を告白したヤーコプ伯を助けようとするが、ヤーコプ伯は、大公の暗殺は自分が雇った刺客によるものであったことまで告白する。
この言葉に皇帝は憤怒し、フリードリヒとリッテガルデが処刑されるはずだった火刑台でヤーコプ伯を処刑する。
皇帝はフリードリヒとリッテガルデの名誉を回復し、二人は結婚する。皇帝は決闘を記念する彫像に 「神の御心のままに」と彫り込ませて物語は終わる。
この物語も登場人物たちの運命が劇的に変化する要素がいくつもある。「暗殺」「密通」「決闘」「傷」「告白」「処刑」。
読んでいて面白かったのは、「決闘」で敗北したフリードリヒが全く気落ちせず、命を保った自らの幸運をポジティブに捉え、リッテガルデの告白を無心で信じきった精神的な強さである。
クライストが書いたのでなければ、一時は敗北と思っても長い目で見ると実は勝利であるというポジティブ思考の人生観が描かれていると言ってしまいそうだ。
一方で悪人役であるヤーコプ伯も、リッテガルデと密通していたと勘違いしていた愚かさや、最後に自らの罪を認め、皇帝の中途半端な同情を拒絶し、自ら火刑による死を望んだ潔さにも魅力がある。
クライストが最後に残したこの短編小説も、全く隙のない緻密な文章で描かれていて、なぜこの小説を書けた人が自殺しなければならなかったのかと不思議な気持ちになる。
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