タイトルが、まるで推理小説のようだが、この本では、作者が読者を、舞踏家を生業にした「あなた」という二人称に設定して、さまざまな都市の夜行列車に乗せて旅をさせ、ちょっとしたトラブルや奇妙な体験をさせるという構成になっている。
2001年頃の作品だが、このコロナ禍の中で読むと、よどんだ空気にすうっと入ってきた新鮮な空気感を味わえて楽しかった。
どの章も面白い。
パリ:「家がどんどん遠くなる。それでもいいではないか、どうせ旅芸人なのだから。匙を投げてしまえ。箸も投げてしまえ。投げて、投げて、計画も野心も全部捨てて、無心に目の前を眺めよ」の一言にすっとする。
グラーツ:「あなたも昔は子供だった。リュックサックを担いだ旅の外国人がどこからともなく現れて...そのすべてを背負った彼の身体が不思議な総合体になって、子供の目の前に現れ、何かを暗示していなかったか」という最後の問いかけが心に残る。
サグレブ:コーヒー豆は輸出規制品なんですね。
ベオグラード:海外の旅先で現地の人に親切にされるとうれしい反面、何か裏があるのではないかと疑ってしまうその心理がうまく描かれている。
北京:こういった状況に巻き込まれたら、ここまで冷静になれるだろうかと思う。
イルクーツク:シベリア鉄道の列車の中、特に会話もないが、干し魚の切り身と玉ねぎとパンの一切れ、そしてウォッカをふるまってくれる男の存在が妙に懐かしい。
ハバロフスク:移動する空間と精神がかみ合わず、夜行列車の中で見る奇妙な夢。
ウィーン:「魔は細部に宿るものだ」という一言が奇妙に説得力がある。不可解な出来事に巻き込まれたときに、細部を観察するということは意外と大事なことなのかもしれない。
バーゼル:マイナスオーラを与える人と個人的にここ最近会ったことがない、しかし、眠りというのは、自己防御の最たるものなのかもしれない。
ハンブルグ:平凡な街での時間の潰し方というのは本当に難しい。
アムステルダム:「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」という諺について、「誰でもかっと腹が立って、相手を殴り返していたりする。しかしそうなる前に、実験的に左の頬も打ってもらえば、どうやって怒りというものが発生することが分かって、自分の身体を他人のもののように冷静に観察することができる」からという説明が面白い。
ボンベイ:大事な爪切りを売り渡して、永遠の乗車券を手に入れる。ここでいう「爪切り」とは、私たちが収まっている日常社会の枠の象徴みたいなものなのかもしれない。
どこでもない町へ:旅についての観念的な言葉が3人の乗客の間で交わされる。この章だけ、二人称の「あなた」ではない。
旅が何かからの逃避行だとすれば、タイトルの「容疑者」という言葉は、作者が設定した旅に放り込まれた読者が味わう不安定な立場や思いを面白がって少し皮肉っぽく表しているようにも思える。
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