前作「さいはての島へ」から、十六年後に書かれた作品。
しかし、物語としては、前作の最後で、竜のカレシンに乗ったゲドが、ゴンド島に向かった後の話なので、それほどの時間は経っていないことが分かる。
にもかかわらず、この物語に、「さいはての島へ」からの距離感を感じるのは、何故だろう。
まず、何より、この物語で再登場したテナーの存在が大きい。二作目の「こわれた腕輪」で、墓地の暗黒世界からゲドとともに抜け出した少女アルハ(テナー)は、本作では、二人の子供を産み、夫を失った中年の後家として描かれている。
つまり、「こわれた腕輪」から「さいはての島へ」の間には、二十五年もの歳月が流れていたという事実がテナーの変わりようで示されているのだ。
次に、大賢人ゲドと大巫女アルハ(テナー)のおそろしいほどの無力化である。
まるで英雄の後日談のように、魔法の力を失ったゲドと、農家の主婦として暮らしていたテルーの中年男女の等身大の姿がリアルに描かれている。
そして、前作との決定的な違いは、性と暴力の影が描かれているところだろう。
これは、強姦され、火の中に投げ込まれ、顔にひどいケロイドを負った少女テルーの存在が大きい。
テルーに暴力を振るった男たちが彼女を再度襲おうとするところも怖い。
彼女を引き取り、守ろうとするテナーにも、その悪意と暴力は襲い掛かり、彼女は震えて言葉すら発せられない無力感を味わう。そんなテナーを、ゲドも守り切れない。
この悪意と暴力に満ちた世界は、現代社会そのものといってもいいのかもしれないが、「さいはての島へ」で、魔法の力を失うまで戦い、クモを葬ったゲドの努力の結果と、王位に就いたアレン(レバンネン)の統治する世界が、たとえ、その直後だったとしても、このような様相を呈していたことに驚きを隠せない。
この暴力の影が予想外に物語の最後までひきずるように描かれているせいで、はらはらしながら読んだという印象が強いが、物語を最後まで読みきると、作者として、何を書きたかったのかが、ようやく分かったような気がする。
でも、この物語、やはり子供向けの領域は超えていると思う。
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