司馬遼太郎が描いた坂本竜馬とは異なる側面が描かれていて興味深い一篇である。
しかも「レイテ戦記」を書いた大岡昇平が史実に基づいた冷静な視点で、坂本竜馬とは何だったのかを描いており、なるほどと思ってしまうところが多い。
例えば、坂本が慶喜が大政奉還の宣言をしたことを聞いたとき、「われこの君のために命を捨てん」といったことに対して、「薩長連合を図る一方、彼の行動には親幕路線が一貫している。そこに規模雄大な近代日本創生の構想を見るよりも、陰謀家の両面作戦を見る方が簡単である」という冷静な判断が示されていたり、
時局が鳥羽伏見の戦いに流れていこうとしたときに、坂本がしたことと言えば、越前に行って来ただけ(由利公正に会って新政府の財政政策を聞くためではなく、後藤象二郎の意により松平慶永の上京を促すのが目的)であったことを踏まえ、竜馬暗殺の背後に薩摩陰謀説があることに触れつつも、「薩摩にとっても長州にとっても、竜馬には軍事同盟の仲立を勤めさせただけで、最早用済みといってよい。戦争は始まっていた。竜馬がそれを知らなかっただけである。」と明確に否定している。
暗殺の件についても、坂本は剣術は上手かったが、実戦経験は、伏見の寺田屋で捕吏とピストルで対応したことしかなく、かねての宿願が実現する寸前に殺されたので、明治になってから同情され、美化されたりしたが、「彼等が河原町の醤油屋の二階で、犬ころのように殺されてしまった事実に変わりない」と容赦ない裁断をしている。
この他、有名な「船中八策」も、竜馬自身が考えたものではなく(自筆ではない)、竜馬の矛盾した行動を、その後の歴史の動きに照して、辻褄を合わせただけのものではあるまいかと、これまた厳しい推論が述べられている。
大岡昇平も竜馬を魅力ある人物と認めつつも、ここまでクールな視点で描かれる坂本竜馬も珍しい。
歴史の教科書から、坂本竜馬の名前が消えるかもしれないという報道も流れたが、案外、このような視点からの再評価なのかもしれない。(寂しい気持ちもあるが)
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