2017年12月31日日曜日

準B級市民/眉村 卓

日本SF傑作選3(早川書房)では、眉村卓を取り上げていたので、懐かしさも手伝って、ついつい読んでしまった。

作者の1960年代の作品が中心に集められているので、私にとっては、ほとんど未読の作品だった。

しかし、これらの作品にも、ジュブナイル小説同様、やはり、眉村卓としかいいようのない雰囲気が漂っている。

理不尽な環境で懸命に生きる生真面目な主人公。彼は従順に耐え忍ぶが、ある臨界点をもって、その押し込められた感情は爆発する。

ある意味、倫理的と言ってもいいかもしれない。
この準B級市民も、そんな雰囲気の小説だ。

生産人口の調整のために人工的に作られた人間。見た目はまったく普通の人間と変わらないが識別票で厳格にB級(人造ロボット)であることが管理されている。

主人公であるイソミは、B級であることを理由に、A級である人間から差別され、就いた職からも追いやられる。

なぜ、B級であるロボットが人間より、いい仕事に就いているのかと。

やがて、彼は少年の頃に好きだった女の子マツヤと出会い、幸せな生活を送るようになるが、人間たちのロボット排撃運動に襲われることになる。

今、世界各地で起きている移民/難民をめぐる排他的な状勢とほとんど同じ世界が描かれていると言ってもいいかもしれない。

SFが近未来を描く小説ということならば、この1965年の作品はまさにSFだ。
準B級市民という冗談みたいな存在が現実になる社会。

少年の頃好きで久々に読んだ眉村卓の小説に、そんな鋭い視点があったことがうれしい。




2017年12月30日土曜日

竜馬殺し/大岡昇平

司馬遼太郎が描いた坂本竜馬とは異なる側面が描かれていて興味深い一篇である。

しかも「レイテ戦記」を書いた大岡昇平が史実に基づいた冷静な視点で、坂本竜馬とは何だったのかを描いており、なるほどと思ってしまうところが多い。

例えば、坂本が慶喜が大政奉還の宣言をしたことを聞いたとき、「われこの君のために命を捨てん」といったことに対して、「薩長連合を図る一方、彼の行動には親幕路線が一貫している。そこに規模雄大な近代日本創生の構想を見るよりも、陰謀家の両面作戦を見る方が簡単である」という冷静な判断が示されていたり、

時局が鳥羽伏見の戦いに流れていこうとしたときに、坂本がしたことと言えば、越前に行って来ただけ(由利公正に会って新政府の財政政策を聞くためではなく、後藤象二郎の意により松平慶永の上京を促すのが目的)であったことを踏まえ、竜馬暗殺の背後に薩摩陰謀説があることに触れつつも、「薩摩にとっても長州にとっても、竜馬には軍事同盟の仲立を勤めさせただけで、最早用済みといってよい。戦争は始まっていた。竜馬がそれを知らなかっただけである。」と明確に否定している。

暗殺の件についても、坂本は剣術は上手かったが、実戦経験は、伏見の寺田屋で捕吏とピストルで対応したことしかなく、かねての宿願が実現する寸前に殺されたので、明治になってから同情され、美化されたりしたが、「彼等が河原町の醤油屋の二階で、犬ころのように殺されてしまった事実に変わりない」と容赦ない裁断をしている。

この他、有名な「船中八策」も、竜馬自身が考えたものではなく(自筆ではない)、竜馬の矛盾した行動を、その後の歴史の動きに照して、辻褄を合わせただけのものではあるまいかと、これまた厳しい推論が述べられている。

大岡昇平も竜馬を魅力ある人物と認めつつも、ここまでクールな視点で描かれる坂本竜馬も珍しい。

歴史の教科書から、坂本竜馬の名前が消えるかもしれないという報道も流れたが、案外、このような視点からの再評価なのかもしれない。(寂しい気持ちもあるが)

2017年12月24日日曜日

レベレーション - 啓示 - 3/山岸凉子

この巻では、王太子 シャルル7世の信認を得たジャンヌが、ついに、国王軍として4~5千もの兵を率いて、イギリス軍に占領されているオルレアンの解放に出立する。

戦の常道に反するジャンヌの戦略を、軍に参加した代官が様々なかたちで邪魔をするが、神がかった彼女の行動に鼓舞された兵士たちの働きにより、立て続けに勝利を収める。

面白いのは、決して信心深いとは言えない兵士たちが、ジャンヌの存在に感化され、神を信じるようになり、自分たちが神軍であり、神に護られているという意識を持つところだ。

“死なない”と確信した人間は、想像以上の力を発揮するものなのかもしれない。

そして、わずか4日間の戦いで、ジャンヌは、オルレアンを解放し、民衆にも王にも熱烈に祝福され、彼女の人生は絶頂期を迎える。

史実が複雑なので、この3巻を読む前に、1巻、2巻を再度読んでおくと、物語の深みが増すと思う。


2017年12月17日日曜日

ソラリス/スタニスワフ・レム

1961年にポーランドのワルシャワで最初に出版されたスタニスワフ・レムの「ソラリス」は、ポーランド語で書かれており、従来、日本語訳されたハヤカワ文庫の「ソラリスの陽のもとに」は、ロシア語版からの重訳だったらしい。ロシア語版は、ポーランド語の意味を取り間違えていたり、検閲によって削除された部分がかなりあったらしく、日本語訳ですべて修復・復元されたバージョンはなかった。

これらの理由から、ロシア・ポーランド文学者である沼野充義が、オリジナルのポーランド語から新訳した「ソラリス」が出版されたので読んでみた。

この新訳を読んで、改めて思ったが、「ソラリス」は、普通のSF小説とは、全く異質な内容になっている。

人類の善悪・進化・社会を鏡のように対照化した異星人との接触ではなく、全く想定外の未知なものとの接触を描いている。言わば、スター・ウォーズ的な物語とは完全に相反した作品だと思う。

従来の「ソラリスの陽のもとに」との比較で言えば、復元された記述によって、圧倒的に、ソラリスの海が存在感を増している。ソラリスの海が作り出す様々な形態、擬態形成体(ミモイド)の緻密でグロテスクな描写は、生物としてのソラリスの海を強く感じさせる。

また、私にとっての「ソラリス」は、原作を読む前に見たタルコフスキー監督が撮った「惑星ソラリス」に影響されているところが多く、今回、改めてその違いを面白いと思った。

以下、「惑星ソラリス」との違いという視点で、興味深いものを取り上げてみる。

・スナウトの闇
 ソラリス観測のステーションにおいて、好人物であるスナウト。
 しかし、最後まで彼の「客」は何なのか、明かされていない。
 (映画では、柔らかそうな耳たぶの映像が、女性か子供を暗示している)
 スナウトの発言や、クリスが目撃した彼の両手の指の関節に凝固していた血が、彼の闇の部分を暗示している。

・ギバリャンの「客」
 映画では、ロシア人風の少女であったが、小説では巨体の半裸の黒人の女が描かれており、スナウトが「客」について語る「人間のうちにひそむ何かが勝手に考え、湧き出てきたこと」が実証されたような印象を強く感じる。

・ステーションの気温
 映画では、どちらかというと寒々とした印象だったが、小説では、冷房装置が動いでいないと耐え難い暑さであるところも意外な印象を受けた。

・狂っていないことの検証
 クリスが「客」のハリーを見て、自分が狂っていないことを確認するために、小型人工衛星の描く円の位置を手計算し、大型コンピュータが計算した数字と比較して誤差を確認するあたりは、いかにも科学者的なふるまいである。映画では、このようなクールな場面はなかった。

・ソラリスに降り立ったクリス
 映画では、クリスが地球にある父の家に帰還し、すがりつくように父にひざまずく印象的なシーンが描かれるのだが、実はそれはクリスの内面的精神を読み取ったソラリスの海が作り出したものだったという、ある意味、ショッキングなラストで終わる。しかし、小説では、クリスが降り立った岸辺でソラリスの海と静かに接触を交わす場面で終わる。ここは好みの問題と思うが、小説の方が、クリスが、理解不能なソラリスの海と最後まで誠実に接触し、理解しようと努めていたことがより伝わってくる。

あとがきにある、作品の解釈をめぐって、レムがタルコフスキーに対して「あんたは馬鹿だよ」とロシア語で言って別れたというエピソードが面白い。

2017年12月16日土曜日

スター・ウォーズ/最後のジェダイ

エピソード8となる本作。

タイトルと全く明かされないストーリーに色々と憶測が広がっていたが、実際に見てみると、奇をてらった物語というよりは、わりとオーソドックスな物語だったような気がする。

なぜ、こんなにと思うくらい、レジスタンス軍がファースト・オーダー軍に徹底的に叩かれ、次々と勇敢な兵士が死んでいくのだが、レイア・オーガナ将軍は有効な戦略を打てない。

印象に残ったのは、昏睡状態に陥ったレイアに代わって、指揮をとった女性指揮官。
どこかで見たことがある女優だなと思ったら、なんと、ローラ・ダーンではないか。


デビット・リンチ監督の「ブルーベルベット」「ワイルドアットハート」が懐かしい。

一方、レイは、孤島に身を隠したルークを探し当て、助けを求めるが、ルークに拒絶される。ここで、ルークとカイロ・レンの関係が明らかになる。

映画では、レイアとルークが久々に再会を果たすシーンも出てくる。
しかし、二人が主人公として活躍したエピソード4から6に比べると、エピソード7から、スター・ウォーズは、ずいぶんと様変わりしたように感じる。

前作のスピン・オフ作品「ローグワン」もそうだが、個性的な脇役のキャラクターがヒューマンドラマ的な場面を演じるシーンが増えている。しかも、フィン役を演じるジョン・ボイエガ、ローズを演じるケリー・マリー・トランと、役者もdiversityになっている。


こういう、いかにもアメリカ的な雰囲気になったのは、やはり、ディズニーの映画になったからだろうか。

2017年12月3日日曜日

トランプ症候群/井上達夫 香山リカ

法哲学者 井上達夫と精神科医 香山リカの対談集。

題名にある通り、トランプ大統領に象徴される時代の特徴、差別、偏見、憎悪、自己中心性、言語の歪曲・壊変について語られているが、読んだ感想としては、題名よりとても広いテーマを扱っている。

・アメリカの覇権
 ジョゼフ・ナイ(国際政治学者)が唱えていたソフトパワー(精神的・思想的指導力)は衰え、圧倒的な軍事力でもって世界に影響力を与える姿勢が明確になってきている。

・アメリカは巨大な田舎者の国家
 クオリティ・ペーパーを読むようなインテリや教養人は一握りで、ほとんどは国際情勢など知らない人たちが多数。
 本音では他国に好戦的に関わりたくないが、ちょっとした感情的な事がきっかけで火が付きやすい。
 アメリカには、民主主義の強さと危険性の両面がある。

・中間層の崩壊
 排他的ナショナリズムの根本原因は経済問題。
 中間階級が崩壊したら本当に危ない(ドイツのナチズム)
 経済のモラルハザードの真の原因は、市場経済のグローバル化ではなく、金持ちによる税逃れ(タックスヘイブン)などの無責任体制。
 保護主義と開発主義(草創期は保護し、競争力がついたら自立する)は違う

・日米安保の誤解
 憲法9条のせいで軍事問題がタブー化され、知識人含め、日米安保の軍事的・政略的実態に対する知識がなさすぎ。アメリカは日米安保から圧倒的な利益を得ている。

・アメリカ政治の衰弱
 トランプが勝ったのはおぞましいことだが、ヒラリー・クリントンが負けたのは正しかった(ウォールストリートとの癒着)。
 民主党は自己改革の圧力を高めなければならない

・オルタナティブ・ファクト(もう一つの真実)
 森友・加計学園をめぐる安部首相、スーダン自衛隊派遣の日報をめぐる稲田元防衛大臣の答弁。言葉というものに中身、重みが全くない。

・断片化する物語
 統合失調症(精神分裂症)の患者が軽症化している傾向があるが、喜ぶべきことではなく、言語能力、思考力が劣化してきて、面白い妄想を語る人がいなくなった。

これ以外にも、井上氏のアメリカ留学時に感じたアメリカ人の愛すべき点など、興味深かったが、井上氏が語っていた

「私は、いま安倍政権批判をしている人たちだけではなくて、安倍政権を支持している国民、その人たちにもアメリカとの関係について本当に考えて欲しいと思う。」

という言葉が重かった。

この本、憲法改正問題などを中心に2冊目も出るのだという。楽しみだ。