私の場合、ベトナム戦争経験者であるという先入観を捨てて読んだ方が、この人の作品に近づきやすかった。
最初に読み切ることが出来たのは、眉村卓のショート・ショートSFのような雰囲気のある「ふしぎな球」。
自分の子供でありながら、妙におとなしい二番目の息子に違和感を感じる父親。
そして、その父親が、ある日、人気のない都心の街を歩いていたときに感じる「色褪せて、内部の輝くを失って見え」る「人間にじかに作られたのではない物が、人間がいなくなってその本性をにじみ出している」感覚。
ある日、二番目の息子は、その父親が感じる街の違和感を物質化したようなガラス玉を拾ってくる。
ガラス玉なのに、光を通さず、明らかに吸い込んでいるような、ブラックホールのようなガラス玉。
息子に問いただすと、街の空間の至るところに穴が空いていて、そこから、ガラス玉を取り出せるという。
こんな不思議な物語なのだが、その後の短編「牧師館」「空白のある白い町」「放散虫は深夜のレールの上を漂う」「ホワイトアウト」「イメージたちのワルプルギスの夜」など、いずれを読んでも、この作家の主題とトーンは同じように感じた。
日常生活において、別の世界を見ようと、感じようとする。
目の前の現象に、精神の触覚を広くめぐらす。
そして、感じようとすれば、その別の世界の入口は、確かに自分の日常生活の中でも、いくつも転がっているような共感を覚える。
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