彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。と、Twitterでコメントしたらしい。
率直に言って、SEALDsの主張を全く理解していないと思う。
彼らのスピーチをまともに聞けば、第一に反対しているのが、安倍政権が今、国民の反対を押し切って進めようとしている集団的自衛権の行使容認であり、立憲主義と法的安定性を軽んじる憲法解釈の変更だということは、すぐに理解できる。
その主張が、なぜ、「だって戦争に行きたくないじゃん」(なぜ、語尾が「じゃん」なのだろう)という乱暴なまとめ方になったのかが理解できない。
SEALDsの学生たちが恐れているのは、戦前の日本で跋扈した軍国主義の復活であり、ふたたび戦争へと突き進んでしまう歴史上の過ちを何とか止めたいという必死の思いから主張しているということも容易に理解できる。
ただ、以下のブログの内容が正しければ、この武藤貴也さんは、相当、根深いところで、今の日本国憲法が提供する価値観を否定したい考えの持ち主であることがわかる。
http://ameblo.jp/mutou-takaya/entry-11937106202.html
ご丁寧に、日本国憲法の三大原理(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)を一個ずつ否定している。
この記事を読むと、武藤貴也さんは、戦前の日本の価値観に戻ることが正しいという考えを持っているとしか理解できないが、そうだとすると、上記のSEALDsに対するコメントも納得がゆく。
私は、世の中には、こういう人もいるのだろうなと思っていたが、しかし、こんな特殊な考え方を持った人が国会議員になるのは、いかがなものかと思う(国会議員には憲法尊重擁護義務がある)。
自民党が、どの程度、この人物を調べて「公認」したのかは知らないが、 今の自民党および安倍政権の顔ぶれを見ると、武藤貴也さんと、相当共鳴するものがあったのかもしれない。
私は、この発言をニュースで知って、内田樹さんが先日、ブログに書いていた以下の文章が頭を過った。
世界平和を求めるとか、平和憲法を維持するとか、「きれいごと」を言うのはもうやめよう―。そんな不穏な心情が法案成立を目指す安倍政権を支えている。
表に出すことを禁じられたこの「邪悪な傾向」が七十年間の抑圧の果てに、ついに蓋を吹き飛ばして噴出してきたというのが安倍政権の歴史的意味である。
彼らに向かって「あなたがたは間違ったことをしている」と言い立てても意味がないのは、彼らが「間違ったこと、悪いこと」をしたくてそうしているからである。http://blog.tatsuru.com/2015/07/17_1352.php
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