ナボコフらしい巧緻にちりばめられた仕掛けだらけの作品と言ってもいいかもしれない。
一読したが、注意散漫な読者である私は、訳者の若島正が巻末に用意した作品中の文章、言葉に関する意味と背景に関するノートと、あとがきを読んで、スルーしてしまったたくさんの仕掛けの存在に気づいた。
そして、その仕掛けの謎解きをするために、再読を強いられた。
物語は、文芸編集者のヒュー・パーソンが、4度目のスイス旅行で、かつて泊まったホテルでの回想から始まる。
一度目のスイス旅行は、父との二人旅。そして、父の奇妙な最後。
二度目は作家R氏との対面のため。
そこから、ヒュー・パーソン、R氏の義理の娘であるジュリア、そして、二度目のスイス旅行で乗ったスイス鉄道で、R氏の作品を読んでいたアルマンドとの関係が描かれる。
R氏の義理の娘でありながら、同時に愛人というスキャンダラスなジュリアとの束の間の情事。
アルマンドという若く美しいけれど、性格と習慣に難がある女性との奇妙な初デートと、その後の奇妙な夫婦生活は、いかにも、ナボコフらしい軽妙なタッチでエロティックを描いていて、とても面白い。
ヒュー・パーソンが実は重度の不眠症と夢遊病を抱えていることが物語中、明かされるのだが、それが、その後の物語の伏線となってくる。
この物語は、26章の短い文章で組み合わされているのだが、最初の章で、題名でもある「透明な対象」(原題:Transparent Things)について、こう説明している。
我々がある物質的な対象に焦点を当てるとき、それがどんな状況に置かれていても、注意を集中するだけで、否応なしにその物の歴史の中に沈みこんでしまう可能性がある。物質をその瞬間の正確なレベルにしっかりととどめておきたければ、初心者はまず物質の表面をかすめていくことを学ばねばならない。過去が透けて輝く、透明な対象だ!この文章だけでは分からないが、第3章で、ホテルの整理棚にあった鉛筆の姿から、それが出来上がるまでの物語(黒鉛がすりつぶされ粘土と混ぜられたり、松の木が切り倒される)を透かして見ることが述べられている。
第4章から、この物語の主人公ヒュー・パーソンの過去を遡って描いていることから、透明な対象とは、ヒュー・パーソンという男の人生、これまでの物語を透かして見ることを意図しているのだろう。
なお、 ヒュー・パーソンが最後に死を迎える瞬間を「ある存在状態から別の存在状態へと移行する」と表現しているあたりは、ナボコフの死の捉え方(この作品は彼の死の2年前に発表されている)が明確に示されていて、とても興味深い。
そして、謎めいた最後の台詞「まあ気楽に、なんというか、行こうぜ、なあきみ。」 の部分は、ナボコフの遺作という印象をさらに強めている(実際には違う作品が遺作となった)。
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