2013年5月26日日曜日

リトル・シスター/レイモンド・チャンドラー 村上春樹訳

コロキアル(colloquial)とは、口語的、話し言葉という意味らしいが、サリンジャーの小説に負けないぐらい、チャンドラーの小説も、コロキアルな魅力にあふれている。

この「リトル・シスター」は、三回以上読み直しているが、マーロウが交わすその他の登場人物との会話は、過度に洗練されている印象も感じない訳ではないが、毎回読んでいてとても楽しい気分になる。

しかも、今は、清水俊二訳の「かわいい女」だけではなく、村上春樹訳の「リトル・シスター」まで読むことができるのだから、二つの訳を比べて読むと、その魅力の奥行きを再認識できる。

出だしの文章など印象的な部分では清水訳の方が切れがある感じだが、原文と照らしながら読み続けていくと、やはり村上春樹訳の方が原文に忠実だ。

また、この「リトル・シスター」のあとがきには、この物語に出てくる重要人物 メイヴィス・ウェルドの年齢に関する説明があり、これを読んでから、彼女のイメージが、くっきりと思い浮かぶようにようになった気がする。

ちなみに、魅力的な娼婦のような存在であるドロレスも、個人的には好きです。
ドロレスについては、チャンドラー自身も「私が一度も会ったことがないような心のやさしい売春婦」とたとえているが、マーロウとの会話の中では、彼女とのやり取りが一番面白かったような気がする。

この作品を何度も読んでしまう理由のひとつは、事件の顛末が非常に込み入っていて、一度読んだだけではなかなか理解できないという点もあるが、この魅力的な三人の女性とマーロウとの間の洒落た会話、そして、現代のハリウッドでも見かけそうな映画業界特有の奇妙な風景、それらが絡み合った複雑な魅力にあるのかもしれない。

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