ある法律系の雑誌に載っていたのだが、元、東大法学部の教授で、
「民法改正-契約のルールが百年ぶりに変わる」の著者でもあり、現在は法務省参与を務めている内田 貴さんが
「民法(債権関係)の改正に関する中間試案」に関する大局的な視点からの座談会で話したコメントに目が止まった。
民法(債権法)の改正に関しては、2009年に法制審議会に、民法(債権関係)部会が設置され、3年あまりの審議を経て、2011年には
「民法(債権関係)の改正に関する中間的な論点整理」で、550項目ほどの論点整理がなされ、その後、パブリックコメントにかけられ、今回の中間試案では、半分以下の260項目ほどに絞り込まれ、さらにパブリックコメントの手続きにかけられている。
この絞り込みの中で、消費者保護・弱者保護という観点から、約款の規制ルールも、経済界の強い反対で、ルール化は見送られたらしい。
この点に関し、内田さんは、韓国には約款規制法があり、中国にも契約法に約款ルールがあり、中韓との取引で、相手方の国で取引となれば、その約款ルールが適用されることにもなること、また、ヨーロッパとEPA(Economic Partnership Agreement:経済連携協定)を結ぶことになれば、日本の産業界は、向こうの約款規制の厳しさにびっくりするのではないか、それに比べて、日本は自国のルール化もしないのか、という点に疑問を呈している。
また、法改正のスピードという点から、こんな話もコメントされていた。
国際取引では、紛争発生時に、契約当事者が属する各国の裁判管轄に委ねず、仲裁機関で処理するという方法がよくとられるのだが、アジア圏での国際取引の仲裁事件を一手に引き受けようと、シンガポールが名乗りを上げており、それに対抗して、韓国ではソウルに仲裁センターを置いて、アジア圏での国際取引の仲裁事件を引き受けようとしているという。
中国でも、北京や上海に仲裁センターがあり、活動を活発化しており、要するに、各国が自国を国際取引の紛争解決の拠点にしようとしてるのだ。
このような各国の動きに対し、日本が出遅れているという印象は拭えないらしい。
さらに、今回の中間試案を作る審議の過程において、実務界や学会でも、現行の明治時代に作られた民法を変えたがらない意識が強いということが指摘されている。
一番の理由は、この法律を使っている法律実務家などが、一旦身につけた体系的な理論を変更することに抵抗があるということらしいが、もうひとつは法律というものが輸入品のように外在的で、自分のものという自己同一感が希薄ではないのかという点も挙げられている。
この点に関し、内田さんは、自分で作ったもの(ルール)は、その気になれば壊すことができるが(フランスやドイツでは、そのような根本原則の改正がなされているという)、外から受け入れたものについては、手をつけてはいけないという感覚になりやすいという点を指摘している。
このコメントを読んだとき、すぐに
日本の憲法改正の議論が頭をよぎりました。
憲法改正には、とにかく反対!という人々も、わりと多い気がする。
日本国憲法は、第二次世界大戦後、日本を統治していたアメリカが、GHQ草案という日本国憲法の原型から出来ている。
もし、私たちが、戦後、国民的な議論を通して、一から憲法を作っていたら、こんなに改正に神経質になることもなかったのではないだろうか。
憲法改正を色々な局面で議論して、自分たちの憲法という意識を持つ、いい機会なのかもしれない。
この民法(債権関係)改正と問題は同じところにある、と気づかせてくれた記事でした。