2013年4月14日日曜日

恋愛と色情/谷崎潤一郎

谷崎が中年(昭和6年なので、四十五歳か)の頃に書いた小論で、今読むと否応なく感じる時代的なギャップが面白い。

この中で、谷崎は、西洋文学が日本に及ぼした影響の最も大きいものの一つとして、「恋愛の開放」-さらに言えば「性欲の開放」にあったと述べている。

その例として、夏目漱石が書いた「三四郎」や「虞美人草」の女主人公が、西洋小説の人物のように「自覚ある女」を社会は求めていたが、まだそのような女性は当時の社会には出現しておらず、谷崎も「古い長い伝統を背負う日本の女性を西洋の女性の位置にまで引き上げようというのには、精神的にも肉体的にも数代のジェネレーションにわたる修練を要するのであって」と、このひときわ女性に対する渇仰が強かった小説家が淋しさを滲ましている。

谷崎が、ひどく残念がっているのは、当時の日本女性の肉体的な美が、十八、九歳から二十四、五歳までしか持たないことだったようで、三十代になると「ゲッソリと肩の肉が殺げ、腰の周りが変に間が抜けてヒョロヒョロ…」となってしまい、「聖なる淫婦」「みだらなる貞婦」が日本では有り得ないことを嘆いている。

今は、三十代になっても容姿が衰えない綺麗な女性は多いが、谷崎がいう「数代のジェネレーションにわたる修練」の賜物だろうか。
彼が芸術的に守ろうとした日本的な美や陰影は消し飛んでしまった現在であるが、こと、女性の肉体的な美という面では、谷崎が夢見ていた女性たちが出現した、彼にとってはある意味、理想的な社会になったのかもしれない。

谷崎がもうひとつ述べている興味深い点は、日本の男子が、この方面で比較的早く疲労してしまい、「あくどい淫楽に堪えられない人種である」と判じていることだ。

たとえば、西洋人のスポーツ好きを、谷崎は「西洋人のスポーツ好きはよほど彼等の性生活と密接な関係があるに違いない。うまい物をたらふく食うために腹を減らすのと同じ意味である」(笑)と推測しているが、日本人が同じようにスポーツをして強壮な肉体を持っても、「果たして彼等のようにあくどくなれるかどうかは疑問であると思う」と懐疑的な見解を示している。

その「あくどくない」理由として、谷崎は、日本の湿気の多いべとべとした気候のせいで、神経衰弱になったり、体が物憂くなり、「頭が馬鹿になって、体じゅうが、骨の髄から腐ったようになる」点を挙げている。(人の体質にもよると思うが、谷崎はかなり、この「湿気」に体調を崩されたようです)

彼が理想として挙げているのは、カリフォルニアのような天候で、「性欲に限らず、たとえば脂っこい食物や強烈な酒に飽満した時など、すべてあくどい歓楽の後では、すうっと上せの下るような清々しい空気に触れ、きれいに澄み切った青空を仰いでこそ、肉体の疲労も回復し、頭脳も再び冴えるのである」と述べている。

気候が影響しているかどうかは分からないが、日本の男子のそれは、昨今の「草食男子」という言葉が、この谷崎の予言を証明しているような気がする。

もっとも、谷崎は、その「あくどい淫楽に堪えられない人種」だからこそ、精力をそっちのほうで散逸せず、安逸に耽らず、年中たゆみなくせっせと働いたからこそ、「今日東洋に位しながら世界の一等国の班に列している」(まだ第二次世界大戦前)と判じている。

この点、「草食男子」的な日本男子が仕事で目立っているという話は聞かない。
むしろ、仕事ができる女性のほうが目立っているかもしれない。
これを谷崎が知ったら、彼はなんとコメントするだろうか。考えると、とても面白い。

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