500円の薄い本だけれど、中味がたくさん詰まっている本です。
気になった文章に付箋をつけていたら、付箋だらけになってしまいました。
たとえば、震災当時の地方新聞社の話。
津波で浸水して輪転機が壊れてしまった石巻の「石巻日日新聞」では、若い記者たちが水と瓦礫の中を歩いてニュースを集め、壁新聞を作り、避難所に行き、貼って回った。
これは、ジャーナリストの鑑であると評判になったが、その「石巻日日新聞」の編集者は、著者にこう言ったという。
「壁新聞を作ったと褒められますが、そんなことは当然のことです。大船渡の東海新報は最初から今回のような出来事を想定して、何年も前に社屋を高い場所に移し、自家発電の設備を作って、一日も欠かさずに新聞を発行した。かなわないですよ」
こういう感情に流されない冷静な視点を持った人々の話や行動が読んでいて心地よい。
それは、著者の感性や行動にも言えることで、たとえば、ボランティアという言葉の本当の意味も分からない日本の老いた政治家の発言を笑うところや、被災地に必要物資を届けるボランティアをしていた著者がチェーンソーを届けたエピソードも、同じように読んでいて心地よかった。
国や専門家が言ったことを鵜呑みにせず、自分で見て考えて行動すること。
当たり前のことだけれど、その重要性に多くの日本人があの震災で気づいたのではないかと著者は考える。
一方、政治と行政はどうだったのか。
阪神淡路大震災を体験した精神科医 中井久夫(著書:災害がほんとうに襲った時)の
「災害において柔らかい頭はますます柔らかく、固い頭はますます固くなる」
という言葉が引用されているが、いまだに被災地において復興が進まない現状をよく表している。
原発についても書かれているが、テクノファシズム(俺たちが決めるから、言うことを聞け)という概念と、テクノポピュリズム(あなた方で決めなさい)と投げてしまうという概念を用いて説明しているのが面白いと思った。
後者が、民主党政権だったとすれば、前者は今の安部自民党政権のスタンスのような気もする。
そして、その両極端の間に、「考えて議論して勉強して、という道があるのですが、それは容易ではないですよ。しかし、その容易でないところに来てしまっている」と著者は述べている。
また、原子力を捨てられるかという点について、
「日本人は江戸時代に鉄砲を捨てました。アメリカがいまだにできないことを、日本はあの時代にやってしまったのです。それから最近の例で言えば、フロンガスは手放しました。…さあ、核はどうでしょうか。この電気漬けの生活は捨てられるか。」とも。
これらの言葉に象徴されるように、この本は、決して、あの震災を嘆き悲しみ、それを克服しようとする人々に感動することだけを読者に求めていない。
講演の最後に述べた著者のメッセージからも、それは分かる。
「よく見て、新聞を読んで、考えて、悩んで、迷ってください。…ある意見を聴いて、ああそうか、と思ったら別の意見を聴いて、いろいろな意見を自分の頭の中でぶつけてみてください。それが多分、それぞれの考える力を磨くことだから。」
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