2015年7月12日日曜日

小さな王國/谷崎 潤一郎

この小説では、彼の主題である美しい女性への崇拝という要素がなく、一見、異類な作品にも見えるが、人の愚かさを描いているという点では、谷崎らしい小説とも言えると思う。

子だくさんの貧乏な小学校教師 貝島が受け持つ教室に、沼倉という一見して卑しい顔立ちの貧乏そうな少年が転校してくる。

成績の悪い不良少年かと思いきや、成績も相応で、性格も温順、無口でむっつりと落ち着いた少年で、いつの間にか、クラスでも餓鬼大将的な地位を占めるようになる。

そのうち、貝島が授業中おしゃべりをしている沼倉を注意して立たせようとしたところ、クラスの全員が彼をかばい、懲罰を止めてしまう事件が起きるが、それは後に、沼倉が、自分の部下たちがどれだけ彼に忠実であるかを試験するために故意に起こした事件であるという事が分かる。

この沼倉という少年の描き方が面白い。

戦争ごっこをやらせると、威厳のある大将として少ない兵数でも勝ちを収めてしまう。
太閤秀吉になることを公言し、度量の広い、人なつかしいところがあり、自分の権力を濫用することもなく、逆に弱い者いじめをしている者に厳格な制裁を加える善政も行うため、人望も厚い。
「先生がこう言った」というより、「沼倉さんがこう言った」というほうが、生徒たちの胸には遥かに恐ろしくピリッと響く。

貝島は、この沼倉のクラスに対する統率力を巧妙に利用し、クラスの規律強化を図る。
その効果は目覚ましいものがあったが、その弊害として、沼倉の生徒たちへの管理体制が一段と強化されたことが、そのうち分かる。

生徒一人一人の素行点を着け、遅刻・欠席などを行った生徒に理由を申告させるとともに、嘘がないかを調べるために密偵を用意する。
また、腕力のある者を監督官に任命し、出席簿係り、運動場係り、遊戯係りといった様々な 役人を作り、大統領である沼倉を補佐する副大統領を設け、これらの副官、従卒ができる。裁判官もいる。よい行いをした者には勲章を授ける。やがて、沼倉が印を押した貨幣が流通し、市場が出来る…

そして、物語は、この小さな王国で、金に窮した貝島が、沼倉に貨幣を分けてもらい、自分の子供のミルクを購入するという不気味なシーンで終わる。

この作品で谷崎が提示した子供の王国は、一見すると、大人の社会を戯画化しただけのようにも見えるが、谷崎が何故こんな作品を書こうと思ったのか、その背景を考えると意外と面白いかもしれない。

谷崎は少年時代、「神童」と呼ばれるほどの頭脳の持ち主だった。彼から見れば、学校、特にそこで権威を振るう教師は、時に馬鹿にしたくなったり、首を傾げることも多い存在だったのではないだろうか?

力と智慧がある子どもは、愚かな大人(教師)よりも優れている、と彼が秘かに考えていたとしても不思議ではない。

そして、そんな彼の積年の思いを具現化した世界が、この小説なのかもしれない。

この作品も、大正7年(1918年)の作品だが、この頃の谷崎の小説は、バラエティに富んでいて読んでいて飽きない。

2015年7月11日土曜日

金と銀/谷崎 潤一郎

谷崎が大正7年(1918年)に、二人の画家の微妙な関係を描いた小説であるが、後半から犯罪小説に変化している。

青野は、人を騙し、借りた金を返さず、友人の物は盗み取り、性に関してはマゾヒストという不徳な男であるが、彼が描く絵画には天才がある。

一方、青野の友人である大川は、財産を有し、社会からも受け入れられる篤実な性格の持ち主で、秀才肌の画家であるが、青野の稀有な才能を誰よりも理解しており、彼を助けるパトロンのような役割を演じながら、その実、誰よりも深く彼の才能に嫉妬している。

そういう複雑な関係の二人だが、大川が、偶然、展覧会に出展する作品のモデルとしていた女性を、青野も同じくモデルにして、絵画を制作しようとしていたことを知る。そして、自分の絵と、青野の絵のどちらが優れたものになるかを知るために、女性に金を渡し、青野の絵のモデルになることを依頼する。

二人は絵画の制作を進めるが、大川は青野が描く作品の出来がどうなっているのかが気になり、ついに我慢できなくなって、青野に絵を見せてくれるよう懇願する。青野は金と引き換えに絵を見せるが、その藝術は大川の絵とは比較にならないほど優れていた。

絶望に突き落とされた大川は、ついに青野を殺す決意を持つ。

ここからは、 大川がいかに逮捕されることなく犯罪を犯すかということが描かれていて、文中、シャーロック・ホームズの「緋色の研究」に出てくる、ホームズが語る探偵の資格に必要な三要素(観察、智識、帰納法)も引用されている。

大川の殺人方法は、それ程、特異なものではないが、襲撃される青野の混乱した様子や、物語の結末は、やはり上手いと思う。

しかし、人物の描き方や二人の関係、物語の展開は、あまりにも映画「アマデウス」 のモーツアルトとサリエリの関係に、似ているような気がする。

年代的にいって、「金と銀の」方が先に作られているので、実は「アマデウス」 のネタ本だったと言われても、私は驚かない。

2015年7月8日水曜日

白晝鬼語/谷崎 潤一郎

作中、ポーの「黄金虫」や、ホームズとワトソンといった名前が出てきたりするので、明らかに、谷崎がこれらの作品の影響を受けて書いた推理小説ということが分かる。

ちなみに、この「白晝鬼語」は、1918年(大正7年)に発表されている。

江戸川乱歩が、最初の作品を書いたのが、1923年(大正12年)なので、日本の推理小説の黎明期に書かれた作品と言って間違いないだろう。

とはいえ、谷崎が書いているので、クオリティは高い。

日本の推理小説にありがちな、怪奇な要素とか、田舎や旧家の奇習とか、ごたごたした人物描写がなく、頭にすっと人物の様子とあらすじが入ってくる。なにより文章が読みやすい。

本当のところ、谷崎は、探偵小説を書きたかったのかもしれないが、まだ「探偵」という仕事じたい、当時の日本では認知されていなかったのかもしれない。

本書では、ホームズ役に、金持ちで暇を持てあまし、一人暮らしをしている精神病の気味がある男 園村を、ワトソン役に、園村の友人で常識的かつ若干臆病な作家 私が配置されている。

物語は、ある日、園村が、「今夜、東京の或る町で人殺しが行われる」と、私に連絡をしてくるところから始まる。

園村は、映画を観た際に、ある美しい女が男と交わしていた秘密の暗号文を拾い、ポーの「黄金虫」の知識で読み解き、その情報を入手する。その解読文は以下のとおりだ。

in the night of the death of Buddha, at the time of the Death of Diana, there is a scale in the north of Neptune, where it be committed by our hands.

仏陀の死する夜、ディアナの死する時、ネプチューンの北に一片の鱗あり、彼処に於いて其れは我々の手によって行われざるべからず。

ここから言ってしまうと、ネタバレになってしまうので止めておくが、日本の暦、東京の地名をうまく使っていたりして、推理小説としての創意工夫も感じられる。

しかし、いかにも谷崎らしいと感じるのは、コナン・ドイルが、ホームズが死を賭してモリアーティ教授と対決する物語を書いたのに対し、この物語では、園村が命の危険を感じながらも恐ろしい犯罪者である美女に魅了され、不用意に近づいていってしまうという愚かさを描いているところだろう。

そのせいで、日本における推理小説の先駆けのようなこの作品が、いきなり、反・推理小説のような様相を呈することになる。

谷崎にとっては、冷徹な推理のロジックより、美しい女性が犯す恐ろしい犯罪のスリルのほうが、よほど魅力的だったに違いない。