水俣と福島、石牟礼道子と藤原新也という組み合わせは、やはり読まずにはいられない本でした。
「なみだふるはな」は、日本という国が高度成長期に入り工業化していく中で、印度に離脱し、日本に戻ってからも一貫して否定的な立場をとってきた藤原新也と、公害によって自分の故郷と人々を壊され、国や企業と戦わざるを得なかった石牟礼道子が、水俣病と福島の原発問題を中心に語り合った対談集です。
水俣と福島に共通点が複数あるというところは確かに感じた。
・共に風光明媚な場所で、工業化されていない土地だったこと。
・水俣はチッソ、福島は東電という会社が引き起こした事件事故であるが、両企業ともに、被害者に対して誠意がある対応や救済を行っていないこと。
・国がバックにいて、多額のお金が動いていること。地元の地域経済の活性に大きな影響力を与えてきたこと。
・水銀も放射能も匂いや味がないため、知らないうちに摂取・被爆してしまうおそれがあること。
この本のあとがきにも書かれているが、二人とも何かしらの明確な回答を求めて、話しているという感じではない。
猫や食べ物、魚や鳥や海、水俣の人々の思い出話など、ほとんどが、今のニュースでは取り上げもしないだろう普段の話だった。
しかし、そういった普段の生活にあった物事が壊され続けてきたということを、二人の話を読んでいて、しみじみ感じた。
小さな言葉や小さな生命をみつめる。
大きく祈ったりせず、小さな祈りを。
そんな言葉に改めて救われたような気がした。
2012年3月16日金曜日
2012年3月11日日曜日
小澤征爾さんと、音楽について話をする/小澤征爾×村上春樹
つい最近、指揮者の小澤征爾が、1年間の活動中止を宣言したのを知り、非常に残念に思った。
ちょうど、村上春樹が小澤征爾にインタビューした内容をまとめた本書を読んでいた途中だったから、なおさら残念に思った。
大体において、インタビュー的な本は、速読(というか、ざっくり読み飛ば
してしまうこと)が多いのだが、この本は、なかなか、ページを読み飛ばすことができなかった。
それほど、内容が充実していて、クラシック音楽をほとんど知らない私が読んでも、小澤征爾の音楽に対する情熱、表舞台には見えてこない数々の努力、ボストン、ニューヨーク、ベルリン、サイトウ・キネンといった世界的に有名なオーケストラの各々の特徴、同じく、世界的な名指揮者バーンスタイン、カラヤンらの逸話、マーラーに関する考察(ユダヤ人としての特質)などなど、盛りだくさんに面白い内容だった。
(370頁程度のボリュームだったが、読むのに何日か時間がかかってしまった。)
ここまで、小澤征爾の音楽に深く迫ることができたのは、村上春樹のクラシック好きが功を奏しているのは間違いないところだが、同時に「作者兼批評家」としての手腕が存分に活かされているからだと思う。
(単なる批評家だけでは、創造者としての共感が得られなかったと思う。)
(単なる批評家だけでは、創造者としての共感が得られなかったと思う。)
村上春樹は「若い読者のための短編小説案内」という本も出しているのだが、この本を読むと、村上春樹のもう一つの顔として、実に優れた批評家の一面を持ち合わせていることがよく分かる。
彼の批評の特徴は、いわゆる文芸批評にありがちな総論に終始せず、対象となる小説本を、まるで、1枚1枚のテキストに分解し、一つ一つの文章や言葉に赤ペンで印をつけるように、細かく吟味していくところだ。
この本でも、その手法を感じさせるかのように、村上春樹は、二人でレコードを聴きながら、スコアを読むことの重要性や、曲のテンポ、アクセントの付け方、一つ一つの楽器が奏でる音への思い入れ、「間」のとりかた等、小澤征爾から事細かな部分まで聞きだしている。
文中、レコードマニアは正直好きではないと、小澤征爾が吐露しているように、このように具体的に音楽に踏み込んだインタビューが出来なかったら、ここまで充実した内容を、マエストロから聞き出すことは出来なかっただろう。
そういう意味で、小澤征爾が体調を崩し、村上春樹をして、まとまった話を聞きだすことが出来たのは、まさに天の配剤だった。
その矢先の、1年間の活動中止宣言。
とても、残念だが、小澤征爾指揮のマーラーは、是非聞いてみたいと思っている。
2012年3月10日土曜日
落ち込んでいるときは…
落ち込んでいるときは、何をしても上手くいかないような気がする。
そういう時は、つまらないことにでも願をかけたくなるものだ。
駅まで歩く道、渡らなければならない信号機が2つあるのだが、タイミングが悪いと、横断歩道の手前ぎりぎりのところで、青信号は点滅し、渡るのをあきらめる。渡り切る道路の距離が長いのだ。
そして、3分近く待つことになる。
今日は…と思っていると、すでにはるか前方で信号は青に変わった。このままのスピードで歩いていると、間違いなく赤になってしまう。
青で渡ったら…と、願をかけ、走る。
リュックが揺れ、マフラーが首から外れかけ、冷たい空気が喉もとに入ってくる。
横断歩道の真ん中で青信号は点滅し、渡り切ったところで赤に変わった。
荒くなった息が頭にこだまする中、ふと、タルコフスキーの映画「ノスタルジア」の最後のシーンが頭を過ぎった。
心臓の病を患っているロシア人作家アンドレイが訪ねたイタリア トスカーナ地方の村で、村人から狂人と噂される老人ドメニコと出会う。
ドメニコは、アンドレイに、自分が果たせなかった願いを託す。
それは、村の広場の温泉を、ロウソクの火を消すことなく渡り切ることができたら、世界はまだ救われるというものだった。
アンドレイは、ドメニコとの約束を果たそうと、ロウソクの火を手のひらで風から守りながら、温泉を渡りきろうと試みる。
世界は救われたのだろうか。
まだだとしたら、後、何回、温泉を、横断歩道を、渡りきればよいのか…
そんな、つまらないことを一瞬だけ、考えました。
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