2023年12月17日日曜日

ボヘミアの醜聞 / シャーロック・ホームズの冒険/シャーロック・ホームズ全集3 アーサー・コナン・ドイル/小林司・東山あかね 訳

 この「 シャーロック・ホームズの冒険」は、もっとも多くの日本人が読んだイギリス文学かもしれない。十二作の短編小説が収められ、前二作「緋色の習作」「四つのサイン」で感じられた物語後半のまどろっこしさが解消され、すっきりとした仕上がりになっている。

「ボヘミアの醜聞」は、ボヘミア国王から、彼が皇太子の頃、付き合っていた舞台女優アイリーン・アドラーが、二人が共に写っている写真を持っており、近々、国王が他国の王女と結婚することとなるので、女に対して写真の買い取りを提案したがこれに応じず、女の家に盗みに入っても見当たらないので、ホームズに何とかして写真を取り戻してほしいという事件の依頼内容。

ホームズはワトスンの協力を得て巧みな策略で写真の在りかを探ろうとするが、アイリーン・アドラーが一筋縄ではいかない女性であることが分かる...という物語だ。

ホームズがアイリーンへの敬意を抱きながらも、恋愛感情を持たないという線の引き方の厳しさは、コナン・ドイル個人の考えが反映されているような気がする。

半面、ホームズのワトスンへの友情の描き方は手厚い。

久々に訪れた友人に、優しい目つきで、ひじかけ椅子をすすめ、葉巻の箱を投げ渡し、酒が置いてある台や、ガソジーン(炭酸水製造機)を指さすあたりは、男友達のなにげない友情が描かれていて、その温かさが印象に残る。

2023年12月16日土曜日

四つのサイン/シャーロック・ホームズ全集2 アーサー・コナン・ドイル/小林司・東山あかね 訳

この小説も初めて読んだものだと思う。
シャーロック・ホームズの作品は、どうしても「少年もの」のイメージが付きまとうが、この物語では、冒頭、皮下注射器でコカインを打つホームズの姿が描かれている。

「ぼくは、ぼんやりと生きていくことに耐えられない。精神の高揚が必要なのだ。」

と語るホームズには、正義感という理念は持たず、自身の昂奮を求めるドラック愛用者だし、アマチュア・ボクサーとして試合に出て与太者をノックアウトした事実も描かれており、独身男のリアルなホームズの姿が浮かんでくる。

少し退廃的なのは、作者が吸収していた十九世紀末のロンドンの雰囲気が意図せずに作品に漂っているからだろう。

しかし、この物語、四つのサインをした人が誰なのかを理解するのが意外とむずかしいのと、犯罪の原因となった舞台が、セポイの乱(1857-1858年、日本は幕末)の頃のインドを舞台にしていて、犯人も義足とか、小人、毒矢と特殊なキャラクターでなかなか頭になじまなかった。

一番印象に残ったのは、相談者メアリと結婚の約束をしたことを報告するワトソンに、ホームズが「すごく憂うつそうなうめき声をだした」シーンだろうか。

ホームズの、気が合うワトソンを女性に盗られることへのうらみ、結婚という凡庸な生活に後退していくワトソンへの幻滅が感じられて面白かった。


2023年12月3日日曜日

緋色の習作/シャーロック・ホームズ全集1 アーサー・コナン・ドイル/小林司・東山あかね 訳

 NHK BSの「シャーロック・ホームズの冒険」を見ていたら、段々、本物が恋しくなって、シャーロック・ホームズ全集 1「緋色の習作」を読んでみた。

なにせ「緋色の研究」を読んだのは、中学生時代。(新潮文庫の延原謙氏の訳だったと思う。なお、延原謙氏の訳もすごく読みやすい印象がある。確か、片岡義男氏も、延原謙氏の翻訳を日本語訳としては最高のもの」と絶賛している。

おぼろげな記憶では、ボームズとワトソンが出てくる第一部は面白かったが、第二部の犯人を巡る物語はひどく長く、読んでいてもよく分からないという印象が残ったままだった。

今回、訳がすごく読みやすかったせいもあるが、こんなに短い話だったのかということに驚いた。 なかんずく、オックスフォードフォード版の膨大な注釈が本の半分を占めているせいもあったかもしれないが、注釈をいちいち拾わずに読み切れば、あっという間に読み切れると思う。

題名がこの本では「緋色の習作」とされているが、二十五歳の若い医者 コナン・ドイルが、習作として書いたものという意味でとらえると、確かに、この題名の方が確かにしっくりくる。 一方で、A Study in Scarlet 緋色)という黄みがかった赤色をイメージすると、血の色=殺人もイメージさせ、犯罪研究という意味も思わせるので、どちらも有りなのかなと思った。

そして、第二部で語られる犯行の原因がモルモン教徒の特異な話(一夫多妻制*)だったのかということも初めて理解した。

*現在は廃止されている

なんと言っても、ホームズが初めて登場する物語である。彼が地動説や太陽系を知らない話(色々と雑多な知識を頭の中の狭い記憶倉庫に入れると、実務に必要な知識を失念してすぐに使えなくなる)は、なるほどと最初に読んだときに感心したものだったが、この本の注釈ではまるっきり反対のことが書かれていて、読んでいてい非常に面白かった。

2023年10月21日土曜日

海の魚鱗宮/山岸凉子 自選作品集

◎海の魚鱗宮

冒頭、古事記にある兄の火照命の釣針を失くしてしまった弟の火遠理命に、兄がもとの釣針を戻せというエピソードが出てくるが、これは、もちろん、主人公の寿子が記憶の底に沈めた自分の帽子を失くした女の子との出来事に重ねている。

山岸凉子の作品では主人公が遠い記憶を呼び起こす際に、効果的に海の風景が現れる。

その海の風景に現れる可愛い女の子。

寿子は彼女が誰なのか思い出せないが、十数年ぶりに海の傍にある郷里に戻ることで、自分がかつてその女の子と海辺で遊び、貸した帽子を海に流してしまった彼女に取り戻すように責め、その場を立ち去ってしまうが、翌朝、彼女が海辺で遺体となって見つかった事件を思い出す。

自分にとっては悪夢のような消したい過去。これは生きていれば誰にでも起こる出来事。それを彼女は忘れるため、十数年も郷里に戻らなかったことに気づく。

この物語の先は、読んでいない方のために書かないが、しかし寿子は悪夢のような消したい過去の再生と対峙することになる。

しかし、本当に事の真相に気づいていなかったのか、私には疑問が残る。

それは、彼女が自分の娘に男の子のような恰好をさせていたこと。このおかげで娘は重い被害を免れるが、単なる無意識でさせたとは思えない。

つまり、主人公の寿子は、実は事件の真相を知っていて、あえて娘を守るために、そのような格好をさせていたと私は思う。

寿子が女の子の霊に呼ばれたのか、彼女が自分の悪夢のような過去を清算するために、<無意識に>勇気を振り絞って郷里に帰ったのか。重大な出来事の場合、人生に偶然はない。

◎瑠璃の爪

これは妹が姉を刺し殺した事件について、関係者の証言を描きながら、一見仲がよさそうだった姉妹の間に横たわっていた闇を描いた作品。

「〇〇さんは妹思いのいい人でしたよ。」

「〇〇さんは小学校の時は元気であかるい人でしたよ」

というような発言は、犯人の周りにいた人への取材でよく耳にするような言葉だ。

しかし、本当はそれだけではない何かが隠されているはずで、それに気づていた人もいるのだろうが、あえて喋らないのか、取材の対象からは漏れてしまっているのかもしれない。

無意識の悪意というのは怖い。

あとがきで内田樹が「源氏物語」で六条御息所の嫉妬が「生霊」となって葵上や夕顔を呪殺した話を取り上げているが、この物語では「生霊」がわが身に戻ってきてしまうという解説をしているが、確かに!と思うと同時ににわかに怖い話だなと思った。


2023年6月10日土曜日

詩歌川百景 3 /吉田秋生

この巻は、人間の闇を取り上げていて、漫画とはいえ、読み応えのある内容だった。

とりわけ、びっくりしたのは、次の3点。

1点目

類の母親がカルト宗教にはまってしまったのだが、全く理解できないという類に対して、医師の“愛ちゃん先生”は、こういうのだ。

「ありえない形のジグソーパズルのピースがあらまビックリ!ぴったりハマっちゃった、みたいな感じ。それは誰にでも起こりうること。あなたにだって思いもよらないジグソーパズルのピースがあるかもなのよ。もちろん私にも」

こんなにしっくりとくる言い回しは、今まで聞いたことがない。

理解できない→拒絶というゴールの先が見えた感じとでもいうか。

2点目

主人公の和樹と妙が暮らす河鹿沢温泉は、原光司のような異分子が居るにせよ、ある意味、平和で温かい世界なのだが、類が同性愛者であることを告白したとき、町会議員の宮本が、自分の地元についてこんなことを言う。

…だが性的少数者とかそういうことを身近なことだと思った者はおそらく一人もいないかもしれない。田舎の共同体はよくわからないものには敏感だ。

無知と警戒感が限界に達した時、共同体は牙をむく…

この物語の舞台となる社会について許容限界をこれほど客観的に指摘するということは、この物語が単なる“癒し系”ではないことを示している。

3点目

第十二話の「解けない謎」は深い。これは1巻で和樹がすれ違った登山者である大学生の遭難事故の原因を、海街のすずの姉が嫁いだスポーツ店の店長と一流のアルパイン・クライマーが科学的な観点で分析する物語だが、スポーツ店の店長は最後にこんなことを言う。

何があったか、本当のことは本人にしかわからないんだよ。…でも…解けない謎に苦しむのはその人を愛した人たちだからね。

人間のかかえている闇は分からない。ただ、それを拒絶したり、無視することなく、少しでも努力してその人を理解しようと、原因を知ろうとする気持ち。

そういう重たいテーマを感じる作品だった。 

2023年4月16日日曜日

街とその不確かな壁/村上春樹

読んでいて、切なくなる。
自分の大事なものを失った喪失感。村上春樹作品に一貫して流れる変わらないテーマ。

久々に深い井戸の底に降りてその世界観に浸ったような気持ちになった。

あとがきで、この作品の第一部は2020年コロナ禍の中で書かれたというコメントを読んで、確かにこの物語のように自分の意識の中の深い世界をさまよっていたような時期だったと思う。

しかし、第二部、第三部と物語が少しずつ外の世界との接触を求め、新しい方向へ動きはじめる。第一部の親密で完璧な内なる過去の記憶や思いを変えてゆきながら。それも切ない話だけれど。コロナ禍を少し脱した今、読むのにふさわしい物語だ。

個人的には「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が大好きな作品だったため、その世界観が壊れるのではないかと心配したが、別のバージョンとしてしっかりと独自の物語ができあがっていると思う。

文中、ガルシア=マルケスの「コレラの時代の愛」の一節を主人公が好意を寄せている女性が読み上げる場面が印象的だった。

考えてみれば、この物語の主人公フロレンティーノ・アリーサは、数多くの女性と関係しながらも、初恋の人であるフェルミーナ・ダーサを想う心だけは失わずにいたという物語で重なる部分があるし、ガルシア=マルケスの作品の特徴として挙げられるマジック・リアリズムは、村上春樹作品で多く見られる非現実にも共通している。

…リアルと非リアルは基本的に隣り合って等価に存在していた

文中で語られる ガルシア=マルケスの小説の特徴は、村上春樹作品の特徴ともいえる。

そして、この作品はそのリアルと非リアルの世界を仕切る「壁」という越えられない定めのようなものを乗り越えようとする強い意思を持った主人公という点でも村上春樹作品に一貫して流れる変わらないテーマを強く感じた。

2023年1月2日月曜日

穴あきエフの初恋祭り/多和田葉子

 主人公が、プラハ帰りのナターシャ(那谷紗)と、キエフのアンドレイ(安堵零)坂のお祭りに参加する物語。

タイトルが、アナーキー…とも読めるが、魔女や不思議なお祭りが展開される。

しかし、今読むと現在の“キーウ”と重なるイメージが多く描かれているのが興味深い。

巨大なお化け屋敷に変貌した地域…

電気がとめられた建物で頑張っている人たち…

ナターシャが語ることば「…でも正直言ってわたしたちの町は特にひどい状況ある…この建物を取り壊そうとしている顔のない怪物たちに負けないように頑張っていくつもりです」

魔女が飛ばす気球灯籠も、ロシアへの政治的メッセージのようにも思える。

タイトルの「穴あき」…というのも、ロシアの攻撃で穴だらけのキーウの街並みをイメージさせる。

魔女の気球灯籠が世界中から飛んでいって、こんな馬鹿げた戦争は早く終わってほしい。