わたしは、岸田 秀の著書「ものぐさ精神分析」を読んでから三十年以上、彼の著書を読まなかった。
その事に引っかかり、自分の心を探り、おおよそ見当はついたのだが、この本を読んで確信に変わった。
自分は、 彼の著書を読んで、おそらくは危険だと感じたのだ。
彼が唱える「唯幻論」は、破壊力のあるバズーガー砲のように、世の中の確固とした(と思っていた)常識を容赦なく打ち砕いていく。
性欲も、宗教も、歴史も、日本とアメリカとの関係も、親子関係も。
とりわけ、親子関係(母親との関係)に関する彼の容赦のない分析は、たぶん、高校生の頃の幼い精神には耐えられなかったに違いない。
彼の主張は、ほとんど明確に理解できるし、納得できる。論理的におかしなところがない。
特に対米関係において、日本が属国であることに心の底では気づいているが、表面上取り繕うことが習い性になり、そのせいで国のアイデンティティが揺らぎ、日本人の多くが自分とは何者なのか、何のために生きているのか、どう生きればいいのか分からなくなっているという主張には、ほぼ100%同意できる。
しかし、その鋭利な刃物のような分析の根拠が、作者の本来プライベートな部分をさらけ出すことで明確になっているのは事実であり、その特異性には、今になっても恐ろしさを感じる。
本書の最終章「消えた我が家」は、儒教的な価値観で言えば、岸田秀自身が言っている通り、「親不幸の最たる者」ということになるのだろう。しかし、それを自認し、一連の悲劇を隠さずさらけ出していることにある種の感銘すら覚える。
わたしが、若い頃、彼の著書から本能的に距離を置いたのは間違いではなかったように思う。ある種の劇薬のような強さがあるので、読む人はご注意を。
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