2021年6月13日日曜日

幻獣の話/池内紀

「世に役に立たない本はない」というが、「幻獣辞典」を書いたボルヘスの「むだで横道にそれた知識には一種のけだるい喜びがある」という言葉は真実だと思う。

マルコ・ポーロが東方見聞録のなかで、スマトラの一角獣や侏儒、樽のような蛇を語った時、ヨーロッパの人々はまだ見ぬ東方の世界に想像を逞しくすることができたのだろう。

しかし、世界の津々浦々まで踏破され、科学知識が行き渡った現在でも、「幻獣」はいると思う。

それは、確かに人の心の中にいる。精神病患者の不思議体験、文学作品に現れる奇妙な動物(村上春樹の「羊男」だって「幻獣」だと思う)。

本書は、ドイツ語文学の翻訳を手掛けた池内紀だけあって、ボードレールやフローベル、ポオ、カフカ、寺山修司の作品についても触れられている。

興味深かったのは、ダニエル・パウル・シュレーバーの幻覚の話だ。
有能な法律家だったが、四十二の時に精神変調の兆しを見せ、回復するも、五十一で再発。強度の幻覚症状を示した。医師の診断はパラノイア。

彼は「女であって、性交されているならば本当に素敵であるに違いない」という妄想に襲われる。

男性生殖器が「撤収」され、ついで内生殖器の同時的改造が進む。そして、これが奇妙だが、数ミリの大きさのそっくりよく似た「チビ男」の二人組が現れ、頭の上で会話をしたり、瞼をつねったり、食べた食事の一部を食べたりしていたらしい。

エレベータに乗ったような状態で地球の深部に降りていき、地球の全歴史を逆行するかたちで体験し、「人類の原始原」を示す第一地点にも足を踏み入れたという。
精神病理学では「世界没落」の幻覚というらしい。
(ケン・ラッセル監督の撮った「Altered states」のような世界をイメージしてしまう)

本書では、作者は結論めいたことは言わないが、なぜ、その人の前に「幻獣」は現れたのかという、その人の生活や社会的立場に視点を当てていて、読んでいて興味深かった。

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