異端審問を受けるジャンヌの発言や様子を、本書はかなり忠実に描いている。
四十四人の神学者と法学者が、彼女の異端を証明しようと繰り出す意地の悪い質問に、十九歳の少女がひるまず的確で機知に富んだ回答をするのだが、やはり、神学上の難問「神の恩寵を受けていたことを認識していたか」に正解を答えてしまうところは、彼女が何者かであったことを事実として証明しているように思える。
彼女の利発さ、神に対する敬虔の純粋さに惹かれて、彼女を影ながら支えるモーリスやイザンバールら司祭の姿が描かれているが、実際、本当は彼女を救いたがった人は多くいたのではないだろうか。
吹き曝しで寒く不潔で狭い牢、手錠と足かせをかけられ、男の牢番に監視される。食事に毒を盛られたり、レイプの恐怖、拷問、火刑の恐怖で脅されながら、十九歳の少女が、最後まで自説を曲げず、頑張り抜いた。本当に大変なことだったと実感する。
物語最後の方で、「解放」の本当の意味を告げたモーリスが、神の存在を疑いかけていたジャンヌを立ち直らせる場面がいい。
ジャンヌをめぐる人々についても、たくさんの逸話があるので、もっと物語を広げることはできた。しかし、山岸凉子は、それらをかなぐり捨てて、一番大事なところ、火刑にされたジャンヌの心に焦点を当てて描き切った。
読んでいて、気持ちが満たされてくるのは、そのせいだと思う。
*ジャンヌ・ダルクの物語を、もっと知りたい人は、「ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女/竹宮節子」もお勧めだ。
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