2016年2月21日日曜日

乱菊物語 谷崎潤一郎/日本文学全集15


物語は、室町幕府の末、海賊が跋扈する瀬戸内海が舞台だ。

明の商人 張の船が、海賊たちに狙われている。

張は、掌に隠れてしまうほどの大きさの四角な黄金の函(はこ)を、船で、室の津(兵庫県淡路島の室津と思われる)に居を構える絶世の美女 高級娼婦の かげろう に届けようとしている。

張は、かげろうから、二寸二分四方の函に入る十六畳吊の羅綾の蚊帳を持ってきてくれたら、一晩一緒に寝てあげると、無理難題の条件を提示されていたのだ。(このあたり、竹取物語のかぐや姫に似ている)

張は抜かりなく、瀬戸内の室の津の手前までこれを運んできたが、かげろうの腰元 うるめ の迎えを受け、船上で前祝の宴会をしている最中、幽霊船に出会い行方不明となってしまう。

そして、何故か、黄金の函を手に入れたうるめは別の船に乗っていて無事だったが、海賊に襲われ、その黄金の函を海に放り投げてから命を落とす。

その後、かげろうは、七年に一度しか巡ってこない閏五月の小五月の祭礼の日に、この黄金の函を私に届けてくれたなら、貧富、老若、善人悪人、僧俗を問わず、永久にその者の言いなりになりましょう、という宣言を書いた立札を、瀬戸内海沿岸の至るところに立てる。

物語は、このかげろうの大胆な呼びかけに呼応した、欲にうごめいた男たちの様々な騒動を描いてゆく。

播州の大名に養子としてなった若君と、これと権力を争う家臣の色好みからはじまる京の高貴な美女探し競争。この二人の各々の家来は争い、競いながら、より美しい女を、互いの主人の妾として迎えようと様々な計略を立てる。

二人の家臣が、ついに高貴な美女と思われる落ちぶれた公家の女を探し当て、命を落としそうな酷い目に会う話は、読んでいて非常に面白い。
(とてもいい匂いがする高貴な人の排泄物の話は、確か、今昔物語のひとつにあったと思う)

もう、一方では、かげろうと繋がっていると思われる播磨灘の家島の城主(実は海賊の親玉)が、黄金の函を持ってきた男を殺してしまい、この函を小五月の祭礼の日に、播州の大名と家臣に争わせるという悪い趣向を考える。

そして、小五月の祭礼の日、欲望うごめく男たちの前に、神輿の行列の中、付き人の美女十二人に囲まれたかげろう御前が姿を現す。
この十二人に囲まれたかげろう御前の美しさを、谷崎は独特の表現で描く。
十二人の傾城は、いづれも美しからぬはなく、恐らくはその一人々々が千金に値する器量の持ち主に違いなかろう。そしてこういう場合、同じように正装をし、厚化粧をして顔を揃えると、めいめいの個性的な「美」が目立たぬ代わりに、そこに一種の、重ね写真に似た典型的な美女の輪郭――日本人に、殊に今この場合では南国の日本人に共通な、ある理想的な端麗な容貌が、面を被ったように各々の顔に刻まれているのが感じられる。

十二人のうちのいずれをいずれに比べても、鼻の形、眼の切れ具合、あごの尖り加減、額つき、生え際、よくもよくも似た顔が揃ったものだとあやしまれるばかりで、…それらの顔は表情に乏しく、生き生きとした色彩を欠いているだけ、ひとしお超人間的に神性化されつつ、この儀式にふさわしい荘厳さを帯び、誰でもその姿に掌を合わせ、伏し拝みたい気分にさせられる。

 かげろう御前は、あたかもこれらの十二人の神々の首座に君臨する女神であった。彼女の顔にもこれという個性の輝きは認められない。ただ十二人の代表する理想的な美が彼女の一身に具現して、一段と高められ、引き締められ、純潔にされ、典型的なものの粋が凝っているというべきであろう。
そんな沿道の人々を魅了するかげろうの上空、羅綾の蚊帳を、くちばしにつけた鳩が飛来する…
というような海賊、幽霊、幻術使いも登場するという、谷崎のイメージには、ある意味、似つかわしくないくらいエンターテイメント性の高い物語になっている。

とても面白い物語なのだが、残念ながら未完に終わる。

日本文学全集のあとがきでは、池澤夏樹が辻原登から聞いた説によると、この「乱菊物語」で描かれている海賊の乱行に、瀬戸内の海賊の子孫たちが抗議したことが原因だという。(本当かな?)

「乱菊物語」は、昭和5年に朝日新聞に掲載された作品だ。

この時期の谷崎は、前後に「卍」、「蓼食う虫」、「吉野葛」、「盲目物語」という、いずれも中期の傑作と呼べる数々の作品を放っており、この「乱菊物語」にも、谷崎の作家として充実していた時期の勢いを感じることができる。

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