藤原定家が編み、最も日本人に親しまれている和歌集「小倉百人一首」を詩人であり作家である小池昌代が口語訳し、読み解いた「百人一首」。
作家であり、批評家である丸谷才一が、五十歳を過ぎてから二十五年かけて自ら編んだ「新々百人一首」。
読み比べてみると、なるほど、これはうまく配列されているなという感じがする。
折口信夫の「口訳万葉集」は、万葉集のどちらかと言うと、ストレートな朴訥な歌を、子供でも分かるように平易な言葉で語りかけるような言葉遣いで訳されている。
例えば、
しるしなく 物思はずは、一杯(ひとつき)の濁れる酒を 飲むべかるらし
(訳)役にも立たないのに、色々考え込んでいるよりは、一盃の濁った酒を飲んだ方がよいにきまっている。
春日すら、田に立ち疲る君は悲しも。わかぐさの妻なき君は、田に立ち疲る折口信夫の小説「死者の書」は難解だったが、この「口訳万葉集」は、とても分かりやすかった。
(訳)ただ一人春の田に立って、一所懸命に働いているお前さんはいとしい人だ。お前さんは、妻もなしに、この長閑な春の日を、田で働いている。
佳作、傑作など、深い理由を述べず、バシッと評価を決め打ちしているところも面白い。
そして、小池昌代の「百人一首」は、実にオーソドックな口語訳と解釈だと思う。 万人向け。
今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな/素性法師
(訳)
すぐに逢いにいく
そうあなたが言ったばかりに
待っていたのですよ
なのに 待って 出会えたのは
九月の空の
有明の月
あなたではなく
「あなた」が結局来なかったので、こうして、明け方の月を仰ぎ見ている今、自分はまるで月を待っていたかのように月と出会っている、というわけである。月と目をあわせている図は、なんだか、とてもユーモラスだ。女(作者)の視線は、男ではなく、とりあえず月に向かっている。そこに余裕がある。歌人の素性や生涯にも触れていて、若干、教科書的な印象でもあるが、それは、あの折口と、あの丸谷に挟まれているのだから、仕方がないだろう。
丸谷才一の「新々百人一首」は、和歌を深読みして、そこまで深読みするのかと思うほど、丸谷らしい独自の解釈を執拗に述べているところに特色がある。(これは、読む人によってかなり好き嫌いがあると思う)
印象的だった箇所をあげると、後深草院二条の和歌
ひとりのみ片敷きかぬる袂には月の光ぞ宿りかさぬる
を取り上げ、二条のパトロンである後深草院と恋人 藤原実兼の三角関係を述べたところだ。理知的な英文学者が評した鋭利な刃物のような印象が残る。
彼らにとって、互いに黙認しあうこの三角関係は、普通の恋よりも情趣に富むものだったのである。それゆえ二条の返歌は、うわべはいちおう言いまぎらわす体裁でありながら、しかし内実では密通を認めるという、入り組んだ形で詠まれなければならなかった。
そういう作歌術は王朝和歌では珍しいものではない。第一に和歌は社交の具でありながら、しかしそれよりもさきに本心を述べる形式であった。第二にそれは三十一音で、極度に短かかった。そして第三に、本歌どりや歌枕など、韜晦のために好都合なレトリックに不自由しなかった。これらの条件が重なるとき、真実と偽りを二つながら表現する詩が可能になったし、それゆえこの種の書簡詩の受信者は、普通、その二つの層を理解する解読の方法を身につけていたのである。それと、 「小倉百人一首」の、あの有名な一首
秋の田のかりほの庵(いほ)の苫(とま)をあらみわが衣手は露にぬれつつ/天智天皇
の和歌を取り上げ、
ふつう、天皇が農事の辛さを思いやった歌とされているが、それはいはば表で、その裏には、女に身をやつしての、「農民の袖のようにわたしの袖は泪に濡れている――あなたに飽きられて」という閨怨の歌、恋歌が秘められてあるに相違ない。と、仰天するような解釈をしている。
この三者三様の和歌の解釈を比較するだけでも面白い。
しかし、たった三十一文字で、ここまで語りつくせる和歌の世界は奥深いですね。
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