無人の村で、まっさきに目につくのは、黒い大きなごみ袋だ(フレコンバックと言うらしい)。
今年9月の関東・東北豪雨で、飯館村に仮置きされた汚染廃棄物が川に流され、中身が流出してしまったのは記憶に新しいが、今もその置き場所は何も変わっていない。田んぼの脇の空き地などに雨が降ると水につかりながら置かれたままだ(人による監視は強化されているかもしれないが)。
でも、大熊町と楢葉街にまたがる場所に広大な(広さは渋谷区に相当するらしい)中間貯蔵施設の場所が決定したはずではないのだろうか、と思う人もいるだろう。
しかし、この番組によると、貯蔵施設を作るには、2,365人の地権者の同意を取らなければならず、そのうち、14名しか同意が取れていないという絶望的な状況が説明されていた。
県外に避難した人の跡を追うことが困難であること、また、所有権の名義書き換えがなされていないため、明治時代近くの過去にさかのぼって、地権者の相続人を探し出す作業を続けているという。
いつ終わるのかの見通しは全く立っていない。
(私見だが、強制的に国が買い上げることができる法律を立法し、地権者には、一定の金銭賠償をするしかないと思う)
今、除染作業はかなり進んでいる。
しかし、除染作業で出た大量の汚染廃棄物を処分するための行き場はない。
仮置き場では収容がおさまらず、人家のそばの所々に黒いごみ袋が目につく。
中間貯蔵施設はこんな状況だが、最終処分施設に至っては、全く目途がたっていない。
日本国政府の方針は、8000ベクレル以上の指定廃棄物の処理は、各県の責任で進めるということらしいが、全国のどの県でも地域住民が徹底して反対しているから、一向に進展していない。
福島から離れた関東圏でも、廃棄物の問題は他人ごとではない。
横浜市では、8000ベクレル以下の廃棄物の処理も、埋め立てようとしたところ、住民の反対で処理ができず、保管管理している。(今までにかかった費用は26億円)
100ベクレル以下になるまで廃棄しないということらしいが、放射能の濃度が下がるのは150年ほどかかるという。
8000ベクレル以上の指定廃棄物を、一般ゴミと混ぜて焼却し、1㎏当たりの放射能を薄める“混焼”というやり方や、1300度以上の高熱で、ゴミから放射能を分離し、汚染ゴミの体積を二十分の一にする“減容”というやり方も模索されているが、事態の解決策にはなっていない。
“減容”を提案している東大アイソトープの児玉さんが言っていたことばが重い。
「遠くのよそへ押し付けちゃえばいいっていう格好での大都市のエゴみたいなもののままでは片づかない問題があるんじゃないか」と。
そして、東京も、あの福島原発の電力の利用者だったのであれば、汚染廃棄物の引き取りについて、しかるべき負担を負うという考え方がきっと必要になる、と言っていたが、その考え方は筋が通っていると思う。
(これは、沖縄の基地問題と全く同じ構造ではないだろうか?)
原子力発電が低コストのエネルギーというのも、全くの嘘だ。
核ゴミの処分すら道筋が見えないことに加え、一度、事故が起きたら、途方もない労力と費用を払わされる。しかも、そのリスクを負わされる可能性が高いのは、今の大人たちではなく、子供たち以下の世代だ。
闇金融に金を借りた主債務者が借金をさんざんぱら使い倒して逃げ切り、その家族や連帯保証人がツケを払わされているのに似ている。
原発再稼働を推進している人々は、4年経ってなお、放射能に悩まされいてる福島の現実を直視すべきだ。
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