2015年11月14日土曜日

椿の海の記 石牟礼道子/日本文学全集24


作者が熊本 天草で過ごした四歳までの記憶が濃密に再現された作品とでも言うべきだろうか。

普通の大人であれば、幼児期の記憶はおぼろげだ。ましてや、歳を経るにつれ、その記憶は失われていく。

しかし、石牟礼道子は、四十代後半になって、この作品を書きはじめたにもかかわらず、過去に彼女が生きていた世界全てを文章の中に再現するという、およそ不可能と思われるようなことを成し遂げてしまったようだ。

それは、五歳にも満たない“みっちん”が大人の道子の心の中に生き続けていて、当時、彼女が体験した天草の自然、人々、ことば、そこで起こった事件、思いを彼女と交感することによって、文書能力を身につけた大人の道子が再体験して書き上げたといっていいような完成度に達している。

もうひとつ、この作品が稀有だと思われるのは、彼女が再現した豊饒な自然に包まれ、その中で生き生きと暮らす良識のある人々のいる社会は、すでに喪われてしまった世界であるという事実だろう。

これは、ひとつの理想郷ではないだろうか、そう思ってしまうほど、“みっちん”が暮らす天草の世界は、人々の暮らしと自然が溶け合っている官能的な世界だ。

かつての日本には、そんな世界が実在していたのだ。

例えば、

…三角形の新聞紙の袋から、茶色いその飴をとり出そうとして、女籠の下の地面に落としてしまったりすると、春乃は、
「よかよか、今日は地(じだ)ん中んあのひとたちのご馳走ばい」
という。地の中のあのひとたちとは、蟻とか、もぐらとか、おけら、蛇などのたぐいをいうらしかった。

 …草むらのかたわらに、半ばは溶けた飴玉がころがっていて、その下に、お祭御輿さながらに寄り集まった蟻たちが、わっしょとそれを持ちあげながら移動している情景によく出逢った。わたしはそのゆくえが気にかかり、日が昏れて見えなくなるまで、ちいさなまるい飴玉の御輿の後をかがみ歩きしながら、ついて行くことがよくあった。蟻たちの担ぐ御輿は、鍛冶屋の裏の、大きな無花果の根元にもぐって行ったりした。風が吹けば厚みのある葉がばさりと落ちて来て、昏れてゆく枝の間から木の乳が降って来る。夏になれば蜜を保ちきれぬ果実が、したたるようにいくつもいくつも割れて来て、繁りあった葉の間をさしのぞいていると、幹のわかれ目のところに、くちなわが絡まっていたりするのだった。
(第三章 往還道)

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