これが、マルケス?と思わせるような他の小説家の手法が読み取れるものもあるが、やはり、圧巻なのは、「百年の孤独」に繋がりのある「落葉」や「マコンドに降る雨を見たイサベルの独白」などだ。
葬式に連れられた男の子とその母親、そして、その母親の父である大佐。その大佐の家に突然現れて居候し、孤独のうちに死んでいった医師。
その医師は、村人の急患の診療にも応じず、村人から嫌われ続けている。
葬式に来た町長は、死んだ医師の死体の逆さ吊りを要求する。
バナナ会社が進出し、村から搾取し続け、去っていった後の荒廃したマコンド村の空気。
蔦は家々を侵し、狭い通りには雑草が伸び、土塀には亀裂が走り、女は昼日中に寝室でトカゲと出くわすのです。わたしがあらためてマンネンロウとオランダ水仙を栽培するのをやめてからは、そして、目に見えない手が食器棚のクリスマスの皿を砕き、誰も二度と着ようとはしない衣服の中の虫を太らせはじめた時からは何もかもが破壊されているように見えます。
世界の終わりのような死に行く村の空気が、何故、こんなに魅力的なのだろう。
「マコンドに降る雨を見たイサベルの独白」は、非常に短い短編だけれど、ひたすら雨が振り続けるマコンドの中で、イサベルの意識が少しずつ狂っていく感覚が描かれていて、これも何とも言えず、引き込まれる世界観である。
この作品でも、相当長く振り続けるが雨が、物語の最後には降り止むことになる。
しかし、「百年の孤独」では、4年11ヶ月と2日間雨が降り続ける。
決して読みやすい小説たちとは言えないが、マルケスの魅力が分かる短編集と言っても嘘ではあるまい。
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