1929年、フランス領インドシナ。入植したフランス人の貧しい家の十八歳の娘と、三十歳の華僑の中国人男性の許されない恋愛。
しかし、その恋愛に対する娘の思いは、かなり醒めている。
彼女は男に言う。
あなたがあたしを愛していないほうがいいと思うわ。たとえあたしを愛していても、いつもいろんな女たちを相手にやっているようにしてほしいの。それは、彼女の家族、母と二人の兄についても同様だ。
気管支肺炎で亡くなった気の弱そうな下の兄は、まだしも、夫に先立たれ、さまざまな困難に見舞われ、生きる気力を失ってしまった母と、その母からの盲目的な愛を受け、無分別で暴力的な上の兄に対しては、どこか他人のような冷たい視線を感じる。
そういった複雑な家庭環境にあって、どこか人を愛せない娘が、自分のもって行き場のない愛情をどう表現してよいかわからぬまま(あるいは表現するという努力を放棄して)、白人という人種的な高みから、中国人の男性を愛人として選び、体を重ねて自分を変えようとしていた…そんな物語にも読める。
物語は、作者の視点がころころと、異なる時間・人々・空間を行き来する。老齢の作者が十八歳の自分と家族と愛人、その当時の植民地の風俗を代わる代わる思い出し、それを、そのまま一筆書きで流れるように書き写した。そんな感じの見事の作品だ。
物語は、こんな書き出しで始まる。
ある日、もう若くはないわたしなのに、とあるコンコースで、ひとりの男が寄ってきた。
自己紹介をしてから、男はこう言った。
「以前から存じあげております。若いころはおきれいだったと、みなさん言いますが、お若かったときより、いまのほうが、ずっとお美しいと思っています、それを申しあげたかったのでした、若いころのお顔よりいまの顔のほうが私は好きです、嵐のとおりすぎたそのお顔のほうが」こんな感じの素敵な顔をした女性は確かにいる。
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