2013年6月18日火曜日

プリントアウト

オフィスでも、「一人、紙3枚まで」という貼り紙を無視して、平気で印刷してしまう私である(環境保護活動らしい。でも再生紙だけど)。

どうしても、モニタで原稿をみると、体がむずむずしてしまうのだ。

「あー!ここ直したいとか、書き込みしたい」と思うと、手がむずむずしてしまう。

長い文章であれば、なおさらだ。

Wordのコメント機能だとか、修正履歴機能も使うときには使っているが、何となく気持ち悪いし、見づらい。

瀬戸内寂聴さん、藤原新也さん共著の「若き日に薔薇を摘め」でも、藤原新也さんが、「デスクトップで読んだものとそれを紙でプリントアウトとして読んだものとは、明らかに文章の見え方が異なる」とコメントされているのをみて、共感してしまった。

紙に印刷したものだと、文章の全体像が視覚にビビッドに伝わってきて、つまらない誤字脱字や文章の変なところにすぐ気づくことができる。

注意散漫と言われるとそれまでだが、モニタで文章をみても、その誤りを見過ごしてしまうことが多い。

それと、私などは、昔、上司に文書を赤ペンで添削されていた口なので、Wordの修正履歴が付いたものをみると、何となく冷たさを感じる。

肉筆の温かみもそうだが、添削された原稿の場合、打ち直しながら、何が悪かったのか、自分の文章を嫌でも省みることになるが、Wordの修正履歴は、承認ボタンを押せば、それで完成してしまう。(もちろん、ちゃんと見直す人もいるとは思うが)

最初、真っ赤に直された原稿が経験を重ねていくことで、少しずつ白い原稿が帰ってくる。自分の成長をリアルに感じることができる。

では、小説、エッセイだったらどうか。
これも圧倒的に紙媒体、本でないと、少なくとも私は読む気が起きない。

手に持った厚み、しおりを付けて、何ページ読んだという満足感。
ぱらぱらめくって、気の向いた部分を読む気ままな感じ。

読みたくない本も、机のうえにずっと置いておくと、それだけで読まなければというプレッシャーにもなる。

そういうものはデジタルでは感じられない。

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