前回取り上げた司馬遼太郎と井上ひさしの対談集「国家・宗教・日本人」は、1995年当時の対談だけれど、司馬遼太郎が、以下のようなことばで日本の発展は終わったという認識を述べている。
「もう、だいたいこれで終わりなんでしょう。日本のいわゆる発展は終わりで、あとはよき停滞、美しき停滞をできるかどうか。これを民族の能力をかけてやらなければいけないんです」
それから十七年経った今、客観的に見ても「日本の発展は終わった」という認識は間違いないと思う。
GDPでは、中国に抜かれ三位になり、ここ数年の外交でも日本の国力が落ちているのが実感としてわかる。
何より、時代の熱気のようなものがない。
対談集では明治時代、土木工学の最初の日本人教授になった古市公威がフランスに留学していたときに、猛烈な勉強をしていたときのエピソードが紹介されている。
下宿のおばさんに「少し休まないと体をこわしますよ」と言われた古市は「ぼくが一日休むと日本は一日遅れます」と答えたという。
今でもそれだけ勉強している人はひょっとするといるのかもしれないが、日本のためという意識で勉強している人は皆無ではないだろうか。
でも、それが自然なのだと思う。少なくとも今の日本は先進国であり世界第三位の経済大国だ。そんな国に暮らしていて、お国のためなどという観念はまず生じることはないだろう。
われわれにこれから必要なのはエネルギーをたくさん使った大量生産・大量消費に支えられた経済発展を目指す大きな国家ではなく、少ないエネルギーをやりくりして効率性を高める一方、重要な価値があるものだけを取捨選択し、必要性の低いものは切り捨てる小さな国家なのだろう。
当然、GDPなどの経済指標の数字は右肩上がりにはならない。しかし、その停滞を「悪」ととらえず、誇りをもって緩やかな後退の道筋をたどること、それが司馬遼太郎が言った「美しき停滞」の意味なのだと思う。
言わば、伸び盛りの夢見がちな青春時代が終わり、現実を見据えた大人への成熟が求められているということなのだろう。
NHKで衆議院解散のニュースを見ながら、そんなことをふと考えました。
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