この三篇も、玉鬘をめぐっての物語だ。
玉鬘は、光君が一時逢瀬を交わした夕顔と、内大臣となった頭中将との間の娘である。
光君としては、かつて愛した女性の忘れ形見として彼女を引き取り、自分の手元に置き、娘同様に育てるつもりだったのかもしれないが、彼女を取り巻く若い貴公子からの求愛にどう対処すればよいかを彼女に教えているうちに、カサノバ的な血が騒いだのか、彼自身が玉鬘に恋してしまう。
しかし、意外なことに、玉鬘は自分を恋い慕う光君を忌み嫌う。それは、「行幸」で玉鬘が、光君そっくりの、いや彼より若く美しい冷泉帝をみて、気乗りしていなかった宮仕え(尚侍)をする生活もよいのではないかと心動くさまとは対照的である。
この時点での光君は、三十六歳から三十七歳。
彼の人間離れした美しさにも陰りが出てきたということだろう。
光君にも、かつての「動物的」といっては言い過ぎだが、衝動に走って無理やり女性と関係を結ぶという行動を抑制するという変化がみられる。彼は彼女が内大臣の実の娘であること、自分が関係を結んだ際の内大臣の行動や周りの人々に与える影響を考え、玉鬘との関係をエスカレーションしない。
つまり、光君もいい意味でも悪い意味でも「大人」になったということであり、常識的な態度をとるようになる。
しかし、この「大人」的態度は恋愛の世界においては「老い」という意味と同義なのだろう。
「真木柱」においては、髭黒大将という文字通り髭づらの男に、玉鬘を寝取られてしまう。(物語には、書かれていないが、「藤袴」と「真木柱」の間で、彼女が女中の手引きで、髭黒大将に強引に契りを交わされてしまったという)
光君は残念に思いながらも、玉鬘は髭黒大将と婚姻の関係になるのだが、この髭黒大将という男、北の方という正妻がいて、彼女が嫉妬と悔しさのあまり、髭黒大将に香炉の灰を浴びせる「修羅場」はなんとも現実的(リアル)な場面だ。
光君の老いと男女の修羅場を描く源氏物語は確かに小説なのだと思う。