2022年6月5日日曜日

興津弥五右衛門の遺書/森鴎外

文語体で書かれているが、落ち着いて読むと文章は簡潔明瞭だ。

興津弥五右衛門景吉が、自分を取り立ててくれた主君(細川忠興)の死を受け、殉死するにあたり、自らの生い立ちを祖父の代から振り返り、細川家に召し抱えられるまでの経緯、景吉が主君の「珍しき品」を買い求めるようにとの命を受け、伽羅の香木を買おうとするが、反対する同僚と諍いになり、その同僚を斬り捨ててしまったこと、しかし、主君は却って景吉を褒め、その後も重用してくれたことなどを遺書にしたためる。

彼の記録によると、このような殉死は珍しいことではなく、他の殿様の死の際にも、多くの家来が殉死していることが書かれており、自分の殉死も過去の習わしの一部であるかのような、いささかも自分が死ぬことに疑念を持っていない雰囲気を感じる。

そして、自分が忠誠を尽くして死ぬことを子々孫々に伝えるべく、遺書を息子に託すという物語だ。

作品の後ろには、歴史小説であることの証のように、興津弥五右衛門景吉の家系図、その後の切腹の様子、子孫の行く末が記されている。

この作品は、当時、明治天皇の崩御を受け、乃木希典大将が自刃した直後に書かれているので、鴎外が乃木希典の心情にある種の共感を持っていたのは間違いないだろう。

夏目漱石もこの事件を受け「こころ」を書いているが、面白いのは、鴎外と対局にあった自然主義文学者たち(白樺派の武者小路実篤など)は、この事件をナンセンスなものと捉えて非難していたことだ。(この感覚の方が今となっては常識的だが)

鴎外としては、この作品をもって、誹謗中傷の言論から、乃木の殉死の名誉を守りたかったのかもしれない。

日本の精神の中心を担っていた武士という存在が体現していた道徳、価値観そういうものが消える。そのことの哀惜が鴎外に筆をとらせたのだと思う。


0 件のコメント:

コメントを投稿