2022年6月19日日曜日

中学生から知りたい ウクライナのこと/小山哲・藤原辰史

この本で言っていることは、非常にシンプルだ。

マスコミ等の報道は、アメリカ・ロシアといった超大国のパワーゲーム史観、東西冷戦の構造、軍事戦略といった局面だけで、ウクライナ侵攻を語っている場面が多い。中学や高校で教わった歴史や地理の知識に戻り、ウクライナを知ると、狭い視野から抜け出し、多面的な視野を得られるということだ。

「中学生から知りたい」という副題の意味は、「大人の認識を鍛え直す」という思いも込めたという言葉に多少救われたが、この本を読んで、いかに自分が何も知らなかったかということが恥ずかしいくらいによく分かった。

例えば、

ウクライナをめぐる複雑な歴史…ウクライナがモスクワを中心とするロシア帝国、ポーランド・リトアニア共和国、ハプスブルク帝国、オスマン帝国のはざまで分裂と統合と戦争を繰り返し(歴史家のティモシー・スナイダーは「流血地帯」と呼んでいる)、ウクライナ人民共和国として独立した後も、ソ連の一部に組み込まれ、199年にようやく独立を果たしたこと。
また、一時期ではあるが、ウクライナ民族主義組織(OUN)がナチス・ドイツと連携していた時期があり(現政権は無関係)、これを捉えて、プーチンがウクライナの指導者がネオナチだと言っている根拠にしていること。

多様な宗教…キエフ=ルーシは東方正教会と呼ばれるキリスト教の流れにあり、ユダヤ教徒も多く住んでいて、十三世紀のモンゴル軍の侵攻を受け、残ったモンゴルの遊牧民をルーツに持つタタール人はイスラム教徒で、三つの宗教が共存していた土地だったこと。

地理的に魅力的な土地…ウクライナは黒海の北岸の広大なステップ(草原)地帯であり、ベラルーシやロシアのような森林地帯とは異なっていること、また、非常に豊かな穀倉地帯で、「黒土地帯」とも呼ばれていること。一方、ドイツは軽土と呼ばれる肥えていない土の土地が北部に広がっていたため、肥沃なウクライナの土地を常に欲していた背景があったこと。

ウクライナ語の特色…同じスラブ語派といってもロシア語とは言語的にも近いが、ロシア語にもない特殊なアルファベットを有しており、ポーランド語を勉強した人でも聞き取れないことが多いこと。

等が興味深かった。(地図付きで分かりやすい)

また、以下の厳しい指摘を読んで、改めて日本にとってもこの戦争は他人ごとではないということを改めて認識した。

・ロシアへの経済制裁に日本が加わったことで、ロシアからは非友好国として認定され、サイバー攻撃等の対象となっていること。また、2015年9月に安倍政権下に成立した安保法による集団自衛権の発動が憲法の解釈上認められたため、直接日本への攻撃がなかったとしても、アメリカの戦争に加わるシステムがすでに整備されているということ。

・台湾に中国が攻めてきたときには、鹿児島から沖縄の南西諸島にかけての地域が戦場となることがすでに確定していること(ロシアとNATOのはざまに存在するウクライナの問題は、中国と日米同盟のはざまにある南西諸島の問題と重ねることが可能なこと)

2022年6月12日日曜日

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍/大木 毅

 本書は、1941年6月22日にナチスドイツが独ソ不可侵条約を破ってソビエト連邦に侵攻したことで開戦し、1945年まで続いた「独ソ戦」にフォーカスを当てている。

 この戦争は、数千キロにわたる戦線において数百万の大軍が激突した空前絶後の規模となり、第二次世界大戦の主戦場となった。その被害も半端なものではなく、ソ連では2,700万人の死者が発生し、ドイツでも800万人を超える死者が発生した(日本は230万人)。

 なぜ、これだけの被害が発生したかについて、本書は、この「独ソ戦」には、軍事的合理性に基づいた「通常戦争」の枠を超えた「世界観戦争(絶滅戦争)」と「収奪戦争」の側面があった点を指摘している。戦闘のみならず、ジェノサイド(大量虐殺)、収奪が正当化され、多くの被害が発生した。

 ヒトラーは、ドイツの高級将校たちに、共産主義は未来へのとほうもない脅威であり、敵を生かしておくことのない「みな殺しの闘争(絶滅戦争)」の認識を求めた。

 対するソ連側でも、かつてナポレオンの侵略を退けた1812年の「祖国戦争」になぞらえ、この戦いは、ファシストの侵略者を撃退し、ロシアを守るための「大祖国戦争」と規定し、ソ連軍の機関紙では「ドイツ軍は人間ではない。報復は正義であり、神聖である」と、ドイツ軍が行った虐殺行為に対する報復感情を正当化した。

 なぜ、ナチスドイツがソ連へ侵攻したかについては、ヒトラーはソ連を征服し、その豊富な資源や農地を支配下においてゲルマン民族が自給自足できる東方植民地帝国を建設しようという考えを持っていたことによる(誇大妄想的ではあるが、世界的食糧危機が起きている現状を見ると、その狙いは馬鹿にはできない)。
 また、国内的にも再軍備ということで財政はひっ迫し、労働力は不足していたが、国民の反発を恐れたナチス政権は、国民にその負担は押しつけず、ソ連侵攻によって資源や外貨、占領地の人々の労働力の収奪を目的に侵略戦争に突き進んでいく。
(当時占領下にあった旧ソ連領ウクライナだけでも、1700万頭の牛、2000万頭のブタ、2700万頭の羊とヤギ、1億羽のニワトリが徴発されたという)

 人の扱いはさらに酷い。
まず、占領した土地の人々にとって有用な住まいや衣類や食物を奪い、数百マイル以上も歩かせ、ドイツ軍のために一日10時間働かせた。過酷な労働環境で多くの人々は病気、衰弱により死んでいく。ドイツの生産拡大を達成するとともに不必要な人間を抹殺していくというナチス指導部の目標通りの行為がなされた。
(本書では、収奪や絶滅戦争によって利益を享受したドイツ国民はナチス政権の「共犯者」と位置付けている)

 そして、独ソ戦の最終局面では、優位に立ったソ連軍はドイツ本土に踏み入ると、敵意と復讐心のまま、軍人だけでなく、民間人に対しても略奪、暴行を繰り返し、地獄絵図が展開された。

 現在のロシアによるウクライナ侵攻を思い浮かべながら、本書を読むと、プーチンがナチスの侵攻を受けた歴史を都合よく解釈し、自分たちに抗うウクライナの人々を「ネオナチ」と呼び、その侵略から自国民を守るために戦っているという「大祖国戦争」のような主張を述べているのが分かる。また、自分たちがかつては支配・所有していたという認識のもと、他国侵攻を「領土奪還」と正当化する領土の収奪と、ウクライナからの穀物輸出を封鎖し、食糧を人質に各国と有利に外交交渉を進めようとする「収奪戦争」の側面があるということも見えてくる。

2022年6月5日日曜日

興津弥五右衛門の遺書/森鴎外

文語体で書かれているが、落ち着いて読むと文章は簡潔明瞭だ。

興津弥五右衛門景吉が、自分を取り立ててくれた主君(細川忠興)の死を受け、殉死するにあたり、自らの生い立ちを祖父の代から振り返り、細川家に召し抱えられるまでの経緯、景吉が主君の「珍しき品」を買い求めるようにとの命を受け、伽羅の香木を買おうとするが、反対する同僚と諍いになり、その同僚を斬り捨ててしまったこと、しかし、主君は却って景吉を褒め、その後も重用してくれたことなどを遺書にしたためる。

彼の記録によると、このような殉死は珍しいことではなく、他の殿様の死の際にも、多くの家来が殉死していることが書かれており、自分の殉死も過去の習わしの一部であるかのような、いささかも自分が死ぬことに疑念を持っていない雰囲気を感じる。

そして、自分が忠誠を尽くして死ぬことを子々孫々に伝えるべく、遺書を息子に託すという物語だ。

作品の後ろには、歴史小説であることの証のように、興津弥五右衛門景吉の家系図、その後の切腹の様子、子孫の行く末が記されている。

この作品は、当時、明治天皇の崩御を受け、乃木希典大将が自刃した直後に書かれているので、鴎外が乃木希典の心情にある種の共感を持っていたのは間違いないだろう。

夏目漱石もこの事件を受け「こころ」を書いているが、面白いのは、鴎外と対局にあった自然主義文学者たち(白樺派の武者小路実篤など)は、この事件をナンセンスなものと捉えて非難していたことだ。(この感覚の方が今となっては常識的だが)

鴎外としては、この作品をもって、誹謗中傷の言論から、乃木の殉死の名誉を守りたかったのかもしれない。

日本の精神の中心を担っていた武士という存在が体現していた道徳、価値観そういうものが消える。そのことの哀惜が鴎外に筆をとらせたのだと思う。