2021年11月6日土曜日

ペルソナ/多和田葉子

この物語は、多和田葉子の作品としては珍しく、割とストレートにテーマが語られている。

ドイツ・ハンブルクで弟 和男と暮らす道子。姉弟は2年間の予定でドイツで暮らしている。道子は、「ドイツに住みドイツ語で小説を書いているトルコ人の女性作家たち」について論文を書いており、和男はドイツの中世文学を研究している。

道子は、知り合いの韓国人の看護師セオンリョン・キムが、「東アジア人」だから表情がなく、何を考えているか分からないと噂され、胃を悪くして入院してしまったことをきっかけに、同じ表情のない自分の顔が周りに見られていることに不安を覚える。

「東アジア人」ではない、日本人の顔になるように化粧をしなければ、という強迫観念にかられるが、彼女の不安は消えず、本当の思っていることを言おうとすると、日本語が下手になっていくことを感じるようになる。

そんな彼女が知人の家で偶然出会った、深井の能面。

道子の視線を捕らえて、恨めしげににらみ返してきた顔があった。女性の顔があった。頬の肉が多少垂れ下がって見え、口が半ば開いていた。開いた口は、人に噛みつこうとしているようでもあり、疲労のあまり言葉を失ったようでもあった。

道子は、その深井の面を自分の顔に被せ、ある一つの顔から解放され、しかも、その仮面には、これまで言葉にできずにいたことが、表情となってはっきりと表れていることを感じ、その面をつけたまま、ハンブルグの街を歩く...という物語だ。

仮面(ペルソナ)をつけることで、本来の自分を表現するという行為は、ある意味、珍しいことではないのかもしれない。ただ、深井の能面を被ったという点は、ユニークというかある種の覚悟のような思いを感じる。

決して日本人である自分を否定するということではなく、自分の感情(ある種の悲哀のようなもの)を隠さないという点において。


(深井の能面)

0 件のコメント:

コメントを投稿