主人公は、無名(むめい)という少年。その無名を育てているのは、義郎という無名の曽祖父(ひい爺さん)だ。
無名は、立ったり、歩くことが困難で、パンを食べるのも口の中で出血してしまうほど、脆弱な体になっており、常に微熱をかかえている。これは無名だけではなく、この世代の子供たちすべてがそのような存在になっている。そして、反対に老人は元気な体を維持し、六十代は若者の部類になっている。
義郎と無名が住む東京は基準値(おそらく放射能)を超えた危険地域に指定され、住人は減少している。土壌が多量の有害物質に汚染され、野生動物もほとんどいない。
おまけにこの世界では日本を含めて各国が鎖国しているから、果物や農作物は、沖縄や四国、北海道でしか取れず地産地消しているため、蜜柑すら東京には滅多に回ってこない。オレンジは一個一万円。移住も容易には認められていない。
孫の飛藻(とも)は、ギャンブル依存症で病院に入院していたが脱走して行方不明になり、その妻は無名を出産して死んでしまった。出産に立ち会ったのは義郎だけ。彼が無名を引き取らざるを得なかった。
タイトルの「献灯使」は、鎖国主義に逆らって、外国に性格的な欠陥がない優秀な若い人(献灯使)を送り出すプロジェクトからきている。義郎の妻の鞠華は、無名にその素質があることを見抜くが、彼の健康状態を考えて通常通りの生活をさせてあげたいと願う。しかし、無名の担任教師が彼を「献灯使」に推薦したいという話をもちかけてくる..という物語だ。
東北・関東地方が危険地域に指定され、農作物は北海道と西・南日本地域でしか収穫できず、日本は鎖国状態になってしまう。そして、子供たちの健康が脅かされる世界。
2011年の原発事故直後に読んだら、明らかにそれを意識したディストピアな未来小説だとしか、思わなかったかもしれない。
しかし、この物語は、工業製品を安価で競うグローバルビジネスが立ち行かなくなった時に、日本には何が残るのかという、気候変動問題やアフターコロナ後にも共通する根本的な指摘を投げかけているような気がする。
作中、工業製品を安価で競うグローバルビジネスからいち早く降りた南アフリカとインドが、言語を輸出して経済を潤し、それ以外のものは輸出入しない方針をとり、世界の人気者となり、どんどん経済的に豊かになっていったが、日本には「輸出できるような言語がなかった」と書かれている。
ここでいう「輸出できるような言語」とは何なのだろう。ソフト・パワーのようなものなのか。だとすると、日本のソフト・パワーとは何なのだろう。そんな事を考えさせられた本だった。