この物語は、一見、気のふれた女のひきこもりの生活の破綻を描いているように思えるが、その本質は、女の中にある「内なる少女」を破壊しようとする、女と外の世界との戦いを描いているように感じた。
「少女」は現実的な描写で描かれているが、女の分身であることは明らかだ。
女を取り巻く人々は悪意に満ちている。
同居している男。彼は、彼女に文章を書くのを止めさせようとするが、性的不能のため、彼女を変えられない。男は、生まれの卑しい女性を教育や結婚によりいかに変えるかが重要であるという学者の本を読んでいる。
男の義姉は、男と性的関係を結ばない女を監視し、男の死後は、怪しいビデオ専門誌(おそらくアダルトビデオ)を通して、彼女に原稿を執筆させるよう依頼してくる。
女の旧友だった新聞記者は、彼女と同居する少女の存在を確認しようとし、女の従弟は、女に性的関係を迫ろうとする。
やがて、市役所や保健所が、少女の存在を確かめるように、女の家に現れるようになり、最後には...という物語だ。
主人公以外は悪意に満ちているという点で、カフカの描く悪夢の世界に近いものがあるが、最後、女の書いた文章を書き写したファイルを少女が持ち出し、家を逃げ出すシーンに救いを感じる。
女性の精神的自立を社会が阻害するテーマを描いた作品は多いが、この物語で抹殺されようとする「少女」は、さらにもっと深いところにある、フロイトが提唱した「エス」のようなものではないかと思った。
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