2021年10月3日日曜日

文字移植/多和田葉子

2ページ程度の 小説の翻訳の仕事をもって、知人の内科医が貸してくれた海が見える別荘で滞在する翻訳者のわたし。

バナナ園、溶岩の跡、教会、雑貨屋、魚屋、郵便局、カフェバーしかないようなカナリア諸島の島。

アフリカ大陸から吹き上げるという「ドラゴン風」という熱風に肌や髪の毛は乾燥し、剥げていく。

わたしが訳そうとしている小説は、ドラゴンを退治しようとする「聖ゲオルグ伝説」の話のようなのだが、その翻訳作業は一向にはかどらず、言葉たちがつながらないまま、原稿用紙に散らばっている状況。

その散らばっている言葉たちの固まりが、そのまま、物語にごろっと配置されている。

また、この物語には、「作者」という人物が出てくる。これは多和田のことでなく、翻訳している小説の作者と思われるのだが、わたしは「作者」と一緒に水の枯れた河底を歩いても、わたしの考えていたような<締めくくり>ではなかったり、「作者」は翻訳者のわたしの存在など必要としないようなふるまいをする。

この部分を読むと、この物語は、翻訳作業を行うわたしの心象世界を描いているようにも思える。(ただ、心象世界だとしても、南国の島の人々や出てくる風景は奇妙にリアルだ。)

そして、わたしが書き上げた原稿を入れた封筒を取り上げ、郵便局に出すのを邪魔しようとする聖ゲオルグが化身した青年は、「作者」の思いと交わることができなかったわたしが、自分の翻訳した原稿を編集者に送りたくないという本音が反映されているようにも思えた。

ドラゴン風のせいで、肌がただれて赤茶け、「自分の肌ではなくなってしまったような感じ」とは、翻訳という作業を通して、異物を体の中に取り入れ、変異しようとするわたしの精神を象徴しているのかもしれない。


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