2020年1月11日土曜日

イタリアの詩人たち/須賀敦子 その2

本書は、イタリアから日本に帰国した須賀敦子が初期に書いた作品らしいが、そのクオリティの高さと文章の一部に抑えきれないように噴き出す情熱のような激しさが随所に感じられ、読んでいて飽きない。

例えば、これは、一片の詩のような趣がある文章だ。
...老いた詩人は、長い夕暮の道を、ゆっくりと辿りはじめる。なんという長い臨終の季節だったろう。...晩年のウンガレッティは、復活を信じて、自らの吐く白い糸で、薄明の繭に、このうえなく楽観的な幽閉を実現してゆく、哀しくて高貴な幼虫のいとなみを想像させる。(ジュゼッペ・ウンガレッティ)
これは、文明批評。
...いにしえの日に、アレキサンドリアの図書館の火事が、ほとんど象徴的に、古代の文化を葬り去ったように、いま商業主義の猛火が、すべての価値観を浸蝕し、人類が本質的にうたを喪失しはじめたことに...(エウジェニオ・モンターレ)
これも批評(どちらかというと辛辣な)なのだが、なんて美しい言葉で批評するのだろう。
...燃えつづける生命の火のかわりに、クワジーモドが盗んだのは、まさに火花だったのではなかったか。人間の崇高な運命や実存については、一言の約束をも用意してくれぬままに、彼の栄光は、光と風の爽やかな錯覚に彩られた、言葉だけの透明な世界――水子の 儚さにも似た世界にしかもとめられない。(サルヴァトーレ・クワジーモド)


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