例えば、これは、一片の詩のような趣がある文章だ。
...老いた詩人は、長い夕暮の道を、ゆっくりと辿りはじめる。なんという長い臨終の季節だったろう。...晩年のウンガレッティは、復活を信じて、自らの吐く白い糸で、薄明の繭に、このうえなく楽観的な幽閉を実現してゆく、哀しくて高貴な幼虫のいとなみを想像させる。(ジュゼッペ・ウンガレッティ)これは、文明批評。
...いにしえの日に、アレキサンドリアの図書館の火事が、ほとんど象徴的に、古代の文化を葬り去ったように、いま商業主義の猛火が、すべての価値観を浸蝕し、人類が本質的にうたを喪失しはじめたことに...(エウジェニオ・モンターレ)これも批評(どちらかというと辛辣な)なのだが、なんて美しい言葉で批評するのだろう。
...燃えつづける生命の火のかわりに、クワジーモドが盗んだのは、まさに火花だったのではなかったか。人間の崇高な運命や実存については、一言の約束をも用意してくれぬままに、彼の栄光は、光と風の爽やかな錯覚に彩られた、言葉だけの透明な世界――水子の 儚さにも似た世界にしかもとめられない。(サルヴァトーレ・クワジーモド)
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