2017年2月26日日曜日

騎士団長殺し/村上春樹

題名のインパクトに惹かれ、ついつい、村上春樹の長編の新刊本を買ってしまったが、ほとんど立ち止まることなく、2冊の単行本をあっという間に読み切ってしまった。

村上春樹の長編で、こんな経験をしたのは、実に久しぶりのことだった。
私にとっては、「ノルウェイの森」、「ダンス・ダンス・ダンス」以来かもしれない。

ある意味、彼の使い慣れた登場人物とシチュエーションが、ストレートに前面に出ていたという気がする。

肖像画を描くことを仕事にしている私(僕という主語でも違和感は感じないかもしれない)も、浮気をして僕から離れてしまう妻も、謎の中年男 免色も、十三歳の少女 まりえも、イデアとしての騎士団長も、謎の日本画家 雨田具彦も、村上春樹の過去の作品で見かけた登場人物たちだ。

これに、ナボコフの「ロリータ」 、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」の影響も感じました。

しかし、この物語をぐいぐいと力強く引っ張っていく牽引力は、間違いなく、 「騎士団長殺し」という絵画の魅力だろう。

村上春樹の的確な分かりやすい描写は、本当に、「騎士団長殺し」という絵があるかのように、この謎の絵の異様な魅力を、読者に具体的にイメージさせる。
そして、次々と私にふりかかる不可思議な出来事の数々は、常にその絵を中心に起きているのだ。

面白すぎて、めくるページが止まらない。
こんな幸福な読書体験は、久々だった。

2017年2月22日水曜日

映画監督 鈴木清順の死

映画監督の鈴木清順が、2月13日に亡くなっていたらしい。
93歳という年齢を考えれば、大往生だろう。

この人の映画には、独特の美しい映像と、いつも枠からはみ出したユーモアが漂っていた。
この2つの特徴を併せ持った日本の映画監督は、鈴木清順しかいなかったと思う。

大正生まれのせいもあるのだろうか、真面目よりは洒落、悲嘆よりは笑いを好んでいたと思う。
人間の愚かさをなにかお祭りのように明るく笑い飛ばすような柄の大きさがあった。

2017年2月19日日曜日

移動祝祭日/ヘミングウェイ

アーネスト・ヘミングウェイは、1921年(二十二歳)から1926年(二十七歳)までの6年間、パリにいた。この本は、晩年のヘミングウェイが、その時のパリの生活の様子をストレートに語っていて、とても面白い。

彼が文章を書くために入り浸った様々なカフェやレストラン、様々な料理や酒の数々、そこに出入りする彼の一風変わった友人たち、他の小説家のインスパイアを受けるための貸本屋、セーヌ川、競馬場、競輪場。そして、貧しいながらも、人生を楽しむ妻との生活。

そこで生活する人々の匂いまで感じられるような文章になっているということは、ヘミングウェイにとって、パリでの生活の思い出は、もはや身体の一部になっていたのだろう。彼が冒頭の文章で述べているとおり。
もし、きみが、幸運にも
青年時代にパリに住んだとすれば
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも
パリはきみについてまわる
なぜなら、パリは
移動祝祭日だからだ
しかし、何といっても、同世代の作家 スコット・フィッツジェラルドとの逸話が秀逸である。

彼との奇妙な旅行の逸話、そして愛妻ゼルダとともに崩壊していく生活の生々しい描写は、一読の価値があると思う。

ヘミングウェイが、これほど近く、フィッツジェラルドに近づいていたとは知らなかったので、とても新鮮でした。

※この本は、私が聞いているNHKのラジオ英語番組「攻略! 英語リスニング」で取り上げられていて、偶然読んだ本でした。

※私が読んだのは、土曜文庫という聞きなれない書店の、シンプルな装丁の文庫本でした。(福田陸太郎 訳)

※ヘミングウェイたちを、ロスト・ジェネレーションと呼んだガートルード・スタイン女史との付き合いについても触れられています。

2017年2月12日日曜日

鬼は内/瀬戸内寂聴

日々、様々な人の言葉を耳にはしているが、はっとさせられる言葉というのは、そうそうない。

最近でいうと、たまたま、読んだ朝日新聞で目にした瀬戸内寂聴さんのエッセイで目にしたこの言葉だろうか。

 「福は内! 鬼も内!」
 「ええっ?」
 私より66歳も若いスタッフたちが笑いだす。
 「鬼なんて、いらない!」
 「ここはトランプのアメリカとはちがうのよ、寂庵だもの、誰でも、何でもこばまない」
 「わたしたちにも撒かせて」
 娘たちも掌にいっぱい豆を握り、私の声に合わせた。
 「福は内! 鬼も内!」
 若い笑い声がはじけ、魑魅魍魎が喜々として駆け込んでくる気配がする。

前に、NHKスペシャルで、瀬戸内寂聴さんが暮らす寂庵の様子を見たことがあるが、彼女を支援する若い女性に囲まれながら、負けじと若々しい精神を保っている寂聴さんのバイタリティが垣間見えた。

彼女の一見無茶とも思えるようなひと言で、鬼って一体何だろうと、引きづるように長く考えさせられた。