2016年12月19日月曜日

オスプレイの飛行再開

日本政府がアメリカの言いなりで、日本に主権がなく、ほぼ植民地のような扱いを受けており、沖縄県民の安全性を守ることすらできないことを、あまりにも明らかに、さらけ出したオスプレイの飛行再開。

まだ、墜落事故の原因究明と沖縄県への十分な説明もないまま、このような決定を容認するということは、日本政府は、国民の安全を守るという職責を放棄しているに等しい。

米軍のニコルソン四軍調整官は、「日本国民はオスプレイの安全性と信頼性について理解することが非常に重要だ。」と言い放った。全く、なめられていると言っていい。

こんな事すらまともに対応できない日本政府が、沖縄県から信頼を得ることなど、到底無理な話である。

日本政府は、米軍の行動に理解を示したようだが、そんな“ごまかし”は撤回して、米軍に、墜落事故の説明と、それが出来ないのであれば即時に飛行中止を求めるべきだ。

http://www.asahi.com/articles/ASJDL7R2CJDLTPOB004.html

撫物語/西尾維新

恋物語で、詐欺師の貝木泥舟に説得され、神様を辞めて漫画家を目指し始めた千石撫子の後日談である。

中学校にも行かず、引き籠り、ひたすら漫画を描いている千石撫子の家に、阿良々木月火の監視役として阿良々木家に人形としているはずの式神 斧乃木余接が何故か出入りしている。

親にも中学を卒業したら働けと言われ、焦り始めた千石撫子に、余接が、早く漫画家になれるよう、自分の分身を4つ作って漫画を描くのを手伝わせたらどうか、という提案する。

そして、千石撫子が過去の自分を四人描いて、余接が本当に式神化してしまう。

一人目は、おと撫子 前髪で表情を隠していた頃の大人しい撫子。
二人目は、媚び撫子 阿良々木に積極的にアピールしていた頃の撫子。
三人目は、逆撫子 クチナワに触発され、クラスメイトに逆切れした頃の撫子。
四人目は、神撫子 呪いの札を飲んで、神様になっていた頃の撫子。

この四人の撫子が逃げ出してしまったため、紙の世界に引き戻そうと苦闘する撫子本人(今撫子と呼んでいる)と、それを毒舌まじりにサポートする斧乃木余接。

他愛もない話のようだが、猫物語同様、千石撫子が過去の自分と向かい合い、自分の力で解決しようとしているプロセスを描いており、最後に、撫子自身が、最も問題の核心を秘めていた”おと撫子”の思いを受け止めたところで、ようやく千石撫子は一歩成長し、精神的にも自由になれたのかもしれない。

2016年12月18日日曜日

ROGUE ONE / A STAR WARS STORY (ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー)

エピソード4に、反乱軍の作戦会議の場面で、デス・スターの設計図を画面に映しながら、司令官が、「この設計図を手に入れるために、私たちは多くの仲間を失くしました」と述懐するセリフがあったと記憶しているが、今回のこの作品では、まさにそのデス・スターの設計図を手に入れるための反乱軍の戦いを描いている。

主人公のジンは、 デス・スターを設計した科学者ゲイレンの娘で、幼少期に帝国軍に父ゲイレンを連れ去られ、母を殺された辛い記憶を抱えている。

その科学者ゲレインから、完成間近のデス・スターの極秘情報を託され、帝国軍から逃亡した元パイロット ボーディーが、ジンの育ての親で、惑星ジェダにおいて帝国軍に対する反乱を指揮する過激派の親玉 ソウ・ゲレラに捕縛されてしまう。

反乱軍は、ソウとの接触の仲介役をジンに依頼し、ジンは、反乱軍の工作員キャシアン、天空の城ラピュタに出てきたような元帝国軍のロボット「K-2SO」とともに、惑星ジェダに向かい、そこで、彼女を支援することになる盲目の僧 チアルート・イムウェと彼の忠実な友ベイズ・マルバスと出会うことになる。

そして、ジンは、帝国軍の元パイロット ボーディーが持ち込んだホログラムから、父ゲイレンが、帝国軍に味方すると見せかけ、実はデス・スターに重大な弱点を持たせるように故意に設計することで帝国に復讐しようとしていた事実を知る。

父の思いを受け止めたジンは、やがて、デス・スターの設計図を奪取するため、データが保管されている惑星スカリフに、ローグ・ワンの仲間たちとともに決死の潜入を試みることになる。

というのが、大体のあらすじなのだが、正直、映画を観ていて、この前半の部分の人間関係と名前の理解がなかなか追いつかなかった。

しかし、観終わってみると、間違いなく、いい映画だったという感想が正直なところだ。

この映画では、ダースベイダーを除き、フォースを持つジェダイは一切出てこない。
しかし、その普通の人々が、少しのチャンスも諦めずに、 圧倒的な力を有している帝国軍に、命を投げ打って戦いを挑むところに心が動かされたのかもしれない。
特に、 盲目の僧のチアルートと、その友ベイズの友情にはグッと来るものがあったと思います。

ダースベイダー、R2-D2、C-3PO、冷酷な帝国軍の司令官ターキン総督など、エピソード4とつながるキャラクターやシーンも、ちょいちょい出てきていて、この映画を観ると、エピソード4を見直したくなってしまった。

2016年12月5日月曜日

方丈記 高橋源一郎 訳/日本文学全集07

これまた、思い切った訳である。
方丈記が、まるで、外国人のヒッピーが書いたような体裁になっている。

タイトルからしてすごい。
方丈記 Mobile House Dairies (以下、本文ではカタカナ表示)


章題も、洋画と洋楽の名前みたいだ。

1. River runs through it
 流れる川の泡粒のように、人間の営みも絶えず変わってゆく
2. Back draft
 西暦1177年 キョウトでの大火事。首都のおよそ三分の一は焼け野原に
3. Twister
 西暦1180年 ナカミカド道路のキョウゴクあたりで発生した竜巻の被害
4. Metro police
 西暦1180年 福原遷都で混乱する人々の様子
5. Hungry?
 西暦1181年 まる2年続いた大飢饉で街中に溢れる遺体
6. Armageddon
 (西暦1185年)に発生した大震災の様子
7. Mind game
 どんな風に生きてゆけば、安らかな気持ちになれるのか
8. My way
 不安だらけけの人生。何の未練もなく50歳で出家

9. Making of Mobile House
 60歳で4畳半しかない家を建てた
10. Nostalgia
 琵琶の演奏、自分にために、自分で歌い、自分で弾いて、「虚無」に陥らないように
11. Into the wild
 社会から遠ざかった隠遁生活 山の風景
12. Are you lonesome tonight?
 おだやかな「こころ」がなければ、なんの意味もない
13. All that NAMUAMIDABUTSU
 ずいぶんと長く生きたような気がする。だが、それも、もうすぐ終わり

でも、高橋源一郎が、何故、これだけ、ポップな訳にしたのか、分かるような気がする。
内容が、あまりにも隠者の無常感が漂っていて、ネガティブな印象が強いからだ。

これを真面目な硬い文章で読むのは、おそらく、相当つらい作業のような気がする。

2016年12月4日日曜日

徒然草 内田 樹 訳/日本文学全集07

内田 樹氏が、どんなふうに、あの「徒然草」を訳するのだろうと、この日本文学全集の刊行が決まった時から期待していたが裏切られることはなかった。

兼好法師が望んでいた人生観、すなわち、上品な趣味でありながら、思慮があり、無駄のない、歯切れのよさが、文体に現れていると思う。

序段の訳文が、バシッと決まった感がある。
ひとり閑居して、一日硯を前に、脳裏に去来することを思いつくままに書き綴っていると、自分では制御できない何かが筆を動かしているようで、怖い。
そんな文体で再現された243段に渡るエッセイから浮かび上がってくるのは、兼好法師という、俗世を離れたといいながら、その俗世に強い(どちらかというとしつこいくらい)関心を持ち続けた、批評家的な色合いが強い知識人の性格である。

知人からも、へそまがり(31段)とか、鈍感(238段)と言われながらも、そういった人々との交わりを断らず、ほどほどの距離を保ちながら、人々の生活の様子を冷静に観察していた老人の姿が浮かび上がってくる。

色欲について愚かなものと断じながら、「若い女の手足の肌がつるつると脂が乗っているのを見」て、「私だってちょっとくらいはくらくらするかも知れない」と本音を明かしたり(7段)。

女について、「心はねじくれ、我執は強く、貪欲は甚だしく、ものの理がわからず」と、甚だ貶しておきながら、「とはいえ、もし賢女というものが存在するなら、なんとも取り付く島のない、味気ない女に違いない」と話をひっくり返したり(107段)。

酒は万病の本と非難しつつも、「やはり酒飲みというのはおかしいもので、その罪は許さねばならぬ」とフォローにまわったり(175段)。

ある尊い聖のことばを一条ずつ書き付けていたが、「この他にもいろいろあったが、忘れた」と中途半端に終わったり(98段)。

これらの何とも曖昧な、人間的な寛さが、「徒然草」の面白さなのかもしれない。

また、 他人の生活に対する強い好奇心も、執筆のエネルギーになっていることも間違いない。
人里離れた庵までの私道に足を踏みいれ、その俳味を味わいつつも、柑子(ミカン)の木に柵がしてあることにがっかりしたり(11段)、たまたま通りがかった家の庭に足を踏み入れ、美貌の男が文を読んでいる姿を覗き見て、何者だろうと思いをめぐらしたり(43段)。

読んでいて、一際、面白かったのは、訳者の内田氏自身述べているが、「変な話」の分野である。

芋頭を好んていた僧が病になり、十四日間、「思うさまよい芋頭を選んでこれを貪り食って万病を直した」話(60段)や、召使いの乙鶴丸が、親しくなった「やすら殿」について、主人に尋ねられ、「どうなのでしょう。頭を見たことがありませんので」と答え、兼好が「どうすれば頭だけ見ずにいられるのか」と一人つっこみする話(90段)や、「ぼろぼろ」という仏教徒?の決闘の様子(115段)など。

兼好法師は、鎌倉時代末期に、この「徒然草」を書いたらしいが、この新訳を読むと、一挙に、彼の存在が身近に感じられる。