彼の名前を初めて知ったのは、鈴木清順監督の「陽炎座」のオープニングで流れるクレジットタイトルの中だったと思う。
この時代がかった名前は、続く、鈴木清順監督の「夢二」、遡って「ツィゴイネルワイゼン」にも現れ、さらに、玉三郎が監督を務めた「外科室」に製作者としてその名前を見たときに、こういった映画を撮るフィクサー的な存在なのではないかと感じたのを覚えている。
個人的に、日本映画の中で一番好きな作品が鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」なのだが、この上映の時(1980年)には、興行のやり方も、東京タワーの下にドーム型移動映画館「シネマ・プラセット」を建てて単館上映するという型破りのものだったらしい。
私は、上記の作品の完成度からして、荒戸源次郎は、てっきり、鈴木清順監督(現時点で九十三歳)と同じぐらいの歳なのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、彼の訃報を今日新聞で読み、七十歳であったことを知り、本当に驚いた。
逆算すると、彼は 「ツィゴイネルワイゼン」の製作を、わずか三十四歳のときに手掛けていたのだ。
一体、どんな人だったのだろう。
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