日本文学全集では、彼女と交友関係があった池澤夏樹が編集しただけあって、そういった粒ぞろいのエッセイが収められている。
病床の父からの依頼で、入手することとなったオリエント・エクスプレスの食堂車で使用されているコーヒーカップをめぐる車掌長とのやりとり。
空港までのリムジン・バスで見つけた美しい手の動きで会話する姉兄弟と彼らの母親の一風景。
イタリアのL夫人との歓談で、親しい友人のように話が盛り上がったさなか、彼女の娘が外国人と結婚するという話を巡り、その娘と自分の過去を重ねてしまい、突然意見が対立してしまったエピソード。
それらは、どれも須賀敦子らしい自我の強さとセンスの良さが伝わってくる文章だ。
「雨のなかを走る男たち」も、何気ないイタリアの男たちの習慣を描いているだけなのだが、不思議と心に残る。
作者は、ギリシアの映画監督テオ・アンゲロプロスの作品「シテール島への船出」 の中で、男が傘もささず、雨のなかを外に飛び出すシーンをみて、夫のペッピーノも雨のなかを、そうやってかいくぐっていったことを思い出す。
…男たちはあの格好をして走る。両手で背広のえりの下を握るかたちになるのだが、そのとき左右の親指を垂直に立てるから 、日本で、めっといって子供を叱るときみたいな格好にしたこぶしがふたつ、胸のまえにならぶ。イタリアで暮らしていたころも、それを見るたびに、私はふしぎな格好だと思った。
そして、夫の知人の家族で問題児扱いされているトーニという青年の話になる。
知能が足りず、定職につくこともできず、家にもよりつかず、家族に心配をかけているどうしようもない青年。
しかし、作者はなぜか彼に興味を抱く。そして、カーネーション売りをしているトーニに、夫を説得して会いに行く。
通り過ぎてゆくかけがえのない人生の一瞬を、雨のなかを走り抜けていく男たちのすがたに重ねてしまった作者の思いが、とてもせつない。…雨が激しくなった。ペッピーノが自分の傘をトーニにさしかけると、彼は、いいよ、いいよ、というふうに頭をふって、手にもったカーネーションの束を台のうえに投げ出し、こちらがあっと思う間もなく、いちもくさんに近くの建物をめがけて走り出した。さよならともいわずに、両手で背広の衿もとをしっかりにぎって。夫といっしょに街を歩いたのも、トーニを見かけたのも、あれが最後だった。
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