元禄二年(1689年)、松尾芭蕉は、四十六歳で「おくのほそ道」の旅に出ている。
彼が亡くなるのはその五年後。作中、持病を抱えていたことも記されているが(十七、捨身無常)、自分の死期をそう遠くはないと感じていたのかもしれない。
(今、四十六といっても人生半ばという感じだが、この時代は晩年だったのでしょうね)
そう思いながら、冒頭の「月日は百代の過客にして…」を読むと、彼が物狂おしいまでに漂泊の思いに駆られた心情はどこかうなずけるものがある。
江戸を立ち、日光を通り、白河の関を越え、松島にたどり着くまでに詠んだ句よりも、平泉から最上川あたりまでの句のほうが、知っている句が多いせいもあるが、心に響いていくるものがある。
死の緊張のせいかもしれないが、全体的に真面目な雰囲気が漂っている。
唯一、「三九、市振」で、遊女と偶然同じ宿に泊まるというエピソードがあるが、彼女たちへの振る舞いも、ひどく素っ気ないものが感じられる。
芭蕉の句を味わうという点では、松浦寿輝 選の「百句」は読んでいて面白いものがあった。年代ごとに並べられた芭蕉の代表作を読むことにより、無理なく、芭蕉の俳人としての成長の過程が感じられる。
句のそばに付けてある松浦寿輝の解釈も、極めて現代的なものになっていて、読んでいて飽きなかった。
おそらくは芭蕉ですら明確に思っていなかったであろう大胆な解釈を次から次へと読むことで、たった十七文字の詩に、無限の世界を感じることができる。
それにしても、芭蕉の句というのは、有名なものが多いことが、今さらながらに分かった。
「連句」は、芭蕉が俳諧仲間と共に編んだ歌仙2作品「『狂句こがらしの』の巻」と「『鳶の羽も』の巻」を紹介している。
同じ本に収められている丸谷才一 大岡信の「歌仙早わかり」を先に読んだほうが、分かりやすいかもしれない。
三百年以上前の藝術を、今、違和感なく楽しむことができるというのは、実に素晴らしい。
しかし、 丸谷才一 らが亡くなった後、歌仙を楽しむ日本の文学者は残っているのだろうかが、若干気にかかる。
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