大岡昇平が『武蔵野夫人』を書く上で、登場人物、テーマ、物語の展開、構成を考えるうえで、書きつけた10ページに満たない文章なのだが、読み進めると、この物語の輪郭がくっきりと浮かび上がる点で興味深い。
例えば、登場人物について。
富子を、女主人公Ⅱ と位置づけ、重視している点は意外である。
「三人の男の犠牲者としてのコケット。男を信じることが出来ない女は、自分を信じることが出来ない」とも書いていて、富子の心の闇が暗示されている。
道子については、以下のとおり。
「女主人公は夫を愛し得ず、それを自ら責めていなければならない。不感症の自覚。」
「彼女はいつも自殺を考えていなければならぬ。あるいは失敗の経験者。」
「女主人公の名、道子は封建的な因習を象徴する。」
そして、この二人を、「夫を愛し得ぬ女達。」 と書いている。
勉については、
「主人公は馬鹿の色男」
「主人公は無為でなければならぬ。」
「「家」がついていてはならぬ。 」
「主人公の破壊力は戦争の経験からあらゆる社会的紐帯への不信。」
「本気で嘘が吐けること、これを勉の性格とする。」 と輪郭を明確にし、
「彼は女達の「家」を破壊する。」 と予言しつつも、
「主人公の破壊力は「家」を破壊しなかった。女主人公を破壊しただけだった。」
と、この物語の主テーマを探り当てている。
このノートは、最後に、道子と勉の「誓い」 についても、コメントされていて、
「誓いの敗北―あまりに手軽に屈従された運命には、人生の方で満足しない。」
という大岡の現実的な容赦のない裁断が述べられており、物語は、そのとおり、二人に悲劇が訪れるのだが、作家というのは、やはり、善人では務まらない稼業なのかもしれない。
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