2015年5月31日日曜日

衆議院安保法制特別委員会

安保法制の国会審議を、各局のニュースだけで見ていても、今一つ深さが足りない。

色々、インターネットで情報源を探していたが、最も分かりやすかったのは、 共産党のホームページだった。

これまでの共産党 志位委員長の質疑応答で主に問いただしていたのは、以下の2点だ。

1. 今回の安保法制によって、自衛隊のリスク(戦死者が出る可能性)は高まるか。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-05-30/2015053008_01_0.html

2. 米国が先制攻撃の戦争を行った場合でも、集団的自衛権を発動するのか。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-05-31/2015053109_01_0.html


共産党 志位委員長の質問は、個別具体的にポイントを押さえたものになっていて、政府が危険な法案ではないというイメージを守ろうと、まともに回答しない姿が浮き彫りになっている。

中でも私が驚いたのは、「アフガニスタン、イラクの両戦争への派兵任務を経験し、帰国後に自殺した自衛官が2015年3月末時点で54人にのぼる」という事実だ。


この法案が通って、自衛隊の活動範囲を、これまで政府が「戦闘地域」として認めてこなかった「戦闘行為が行われる可能性がある場所」まで拡大することにより、自衛官のリスクが高まるのは目に見えている。これ以上の犠牲を強いてまで、この法案を通す価値があるのだろうか?

Youtubeでも、質疑の様子を見ることができる。

 戦争法案 志位委員長の質問(5/27)

 戦争法案 志位委員長の質問(5/28)

志位委員長の最後の言葉にあるとおり、この法案を日本国憲法第9条に違反する違憲立法として、廃案にすることを強く望みます。

2015年5月21日木曜日

文学の楽しみ 吉田健一/日本文学全集 20

吉田健一は、まずもって、その特異な文体に、彼の特質の全てが現れている。

句読点がなく、whichやthatなどの関係代名詞で繋がれている“節”の固まりが複数組み合わさったcomplex sentenceと呼ぶのがふさわしいような長文。

「英語の文章になじんだ人が日本語で文章を書き始めて一つの完成に至ったのが吉田健一氏の文章である」と、作家の倉橋由美子は評していた。

その独特の息の長い文章は、落ち着いた、浮ついたところのない一定した速度と持続性を持つ彼の思考の姿を如実に反映していたような気がする。

この文体をもってしなければ、「ヨオロッパの世紀末」という作品においてなされている途方もなく奥行きが深い西洋文明の解析はなしえなかったのではないだろうか。

要点だけ掴んで早く読み終わろうと気が急いている人には、全く、向いていない文体だと思う。

読んでいて彼の文章が理解できないとしたら、それは、その読んでいる人の集中力が不足している可能性が高い。作者は、そういう気の早い読者を拒絶しているのだ。

実際、この「文学の楽しみ」で、作者は「文学はただ文学として楽しめばよい。そこに、神だとか、教養だとか、他の何かを求める態度は間違っている」と単純明快に文学に副次的ななものを求める姿勢を排除している。

それにしても、吉田健一の語る文学の射程は広い。
彼の語るヨオロッパは、まさしく西洋そのものであり、時折対比する東洋(中国)文明についても奥行きが深い。

そして、時々に引用する詩のクオリティも高い。

実はこの人は詩の翻訳が一番優れているのではないかと思ってしまうくらい、シェイクスピアの十四行詩(ソネット)は素晴らしい。
中原中也や、梶井基次郎の小説の引用も、おやっと思うような読ませるものが引用されていて、ひと言でいうと、とてもセンスがいい。

この「文学の楽しみ」でもっとも印象に残ったのは、「生きる喜び」の章だ。
ここでは、明治以降の日本の自然主義文学を徹底して批判しているのだが、一読して、まるで丸谷才一の考えと同じじゃないかと思ってしまった。


日本文学全集のあとがきで、池澤夏樹が二人の文学に対する考えはとてもよく似ていると書いていたが、この生まれも育ちも違う二人が期せずして西洋文学の本質を深いところで学び、そのせいで、いかに明治以降の旧来の日本文学の姿勢と屹立していたか、そして、今やこの二人の文学観をベースに日本文学全集が編まれているということに時の流れを感じざるを得ない。

この変化の流れは、戦後急速に進展したグローバル化の影響もあると思う。

読者は、日本文学にかぎらず、輸入されてきた海外文学を読む。
世界でも通用する共通の価値観。そういう価値観をベースにした魅力的な日本の文学作品が出やすい土壌を吉田健一と丸谷才一は作ったのだと思う。

2015年5月17日日曜日

NHKスペシャル 廃炉への道 2015 "核燃料デブリ" 未知なる闘い

2011年3月11日に発生した東日本大震災によりメルトダウンした東京電力福島第一原子力発電所の1号機、2号機、3号機の廃炉作業は、東京電力作成の工程表によると、今年から本格的な準備作業が始まり、2021年から15年かけて、取り出し作業が行われるという。

廃炉作業にあたっては、"デブリ"(debris)と呼ばれる核燃料が溶け落ち、原子炉の構造物などと混じり合った“核燃料デブリ”を取り出す作業が必要になってくる。

この“核燃料デブリ”は、人が死に至る放射線を、数万年にわたって、出し続けるというやっかいなもので、かつ、分厚い遮蔽された格納容器の中で、どのような形で溶け落ちたのかが容易に把握することができない状態にある。

番組では、この“核燃料デブリ”の状態を探るため、宇宙線を活用したレントゲンのような透視の方法、直径10cmの配管をくぐることができる蛇型の小型ロボットカメラ、また、福島の原発事故で想定される“模擬デブリ”の作成を通したデブリの特性の把握など、さまざまな取り組みが紹介されていて、興味深かった。

“模擬デブリ”の特徴では、ウランが偏在しまうことにより、再臨界のリスクもあるということが説明されていて、ただでさえ、困難な廃炉作業が、さらに一筋縄でいかないものであることが、よく分かった。

これをチャレンジとして捉え、高機能ロボットの開発など、課題解決のために日本の科学技術がさらに発展することを期待したい。

2015年5月16日土曜日

戦後70年も経つと当たり前だったことも当たり前でなくなるという実感

5月14日、安倍政権が、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法案を閣議決定し、翌15日に、同法案を国会に提出した。

5月15日は、43年前、アメリカの施政下にあった沖縄が日本に返還された日である。

その同じ日に、日本国憲法に基づき戦後一貫して専守防衛の立場をとってきた日本の安全保障の方針が抜本的に変更される法案が提出されたという事実は、日本という国がひとつの岐路に差しかかっていることを象徴的に表しているような気がする。

安倍首相は、安保法案の説明の際、「戦争法案」などという無責任なレッテル貼りは全くの誤りという言葉を漏らしていた。

しかし、「平和安全法制整備法案」、「国際平和支援法案」という、“平和” づくしの法案名称を目にするにつけ、実は「戦争法案」ではないのか、と疑いたくなるような気持ちにさせるものがある。

2014年4月に、安倍政権が、「武器輸出三原則」を、「防衛装備移転三原則」 という一見して訳の分からない言葉に変えて、 日本が武器を海外に輸出・販売できるように変えたも記憶に新しい。

その影響は徐々にあらわれているようだ。

世界が注目! なぜ今? 日本初の武器商談会
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/newsanswer/newsl/post_89837/

武器の商売も、アベノミクスの重要な“三本の矢”の一つということらしい。

安保法案の内容は、ひととおり新聞で目を通した。

確かに、武力行使の新3要件、国会の承認など、一見すると一定の歯止めがかかっているように見える。

しかし、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」という歯止めがあっても、その文言を解釈し、運用するのは時の内閣だ。

この言葉だけから受ける印象では、まさに、日本人の生命に関わるような危険な事態の場合のみ、武力行使が可能となるような印象を受けるが、すでに、安倍首相は、中東・ペルシャ湾のホルムズ海峡に機雷がまかれた場合を挙げ、「我が国が武力攻撃を受けた場合と同様に深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況にあたりうる」と述べ、集団的自衛権行使の具体例になるとの認識を明言している。


また、最大の懸念は、日本がアメリカが行う戦争に巻き込まれるのではないか、ということだ。

安倍首相は、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることは、「絶対にあり得ない」  と明言しているが、何故、そう言い切れるのだろう。

アメリカからすれば、日本の首相が、日米同盟を地球規模で強化することを明言し、これほど積極的な意欲を表明している以上、自らの戦争において、日本に支援を求めることは必然的なことになるのが自然な成り行きだろう。

アメリカの下院が「日本の防衛政策の変更を支持する」と、わざわざ表明したのも、その期待(日本への圧力)を示しておきたかったからだろう。

そういうアメリカの期待を引き受けてしまった後で、国会の承認を要すると言って、自衛隊の海外派遣を果たして否決することなどできるのだろうか。
今の政権に、アメリカにNoを突き付ける意思と力があるのだろうか。
逆に、尖閣の問題は自国で対応しろ、と脅しをかけられるのが関の山のような気がする。

ここまで事態が進んでくると、正直かなり厳しい印象を受けるが、明日からの国会審議においては、野党は一致団結して、この法案を廃案に追い込んでほしい。