主役級の阿良々木暦や戦場ヶ原ひたぎ、羽川 翼が卒業後の直江津高校で、三年生になった神原 駿河が、今は左腕の怪異のせいで辞めてしまったバスケットボールで中学時代にライバルだった沼地蠟花と再会する物語。
直江津高校で、ひそかにはやり出した人の悩み事を絶対に解決してくれるという「悪魔様」の噂を聞いた神原が、怪異に冒されたもう一人の自分が仕出かした事件ではないかと疑い、阿良々木暦の妹たちや忍野扇(何故か男の子になっている)の協力を得ながら調査して、その悪魔様の正体である沼地蠟花と出会うのだが、実は、この沼地は、人の不幸話を聞いてあげるという、ある意味、善行のような行為をしていることが分かる。
それどころか、神原が背負っていた罪でもあり重石でもあった左腕の怪異(悪魔の体)まで蒐集し、彼女の左腕は元に戻ってしまう。
そして、妙に説得力のある沼地の言葉。
「悩みの正体というのは基本的に『将来に対する不安』だ。だから彼らに必要なのは『その悩みは私が請け負った』という言葉であって、悩みの解決それ自体じゃないんだよ」
「逃げの何が悪い? この世にあるほとんどの問題は、逃げることで解決するじゃないか。『今このとき』に解決しようと思うから、人は苦労するんだよ」
神原は、人の不幸話どころか悪魔の体の部品まで蒐集し、自分の体に吸収する沼地の行為をおかしいと思いつつも、その行為の結果が人助けになっている矛盾に思い悩むが、偶然会った阿良々木の「お前が困っているのは、お前にとって何よりの重大事件なんだ。それはお前が動く理由に十分なるんだ」という言葉に励まされ、本来の自分を取り戻す。
そして、神原は沼地を負かすために、バスケットボールの戦い 1on1を提案する。
人の不幸、善とは? 悪とは? そういう内容的にちょっと重たい理屈っぽい話なので、ともすれば、つまらない観念論で終わりそうな話だが、これを救っているのは、神原のスポーツマン的なシンプルさと悩む前には走り出してしまいそうな能動性だろう。
戦いの後、神原の夢の中で、一風変わった彼女の母親(すでに死んでいる)の観念的な講評に対して、
「違いますよ。お母さん。今回のお話は、たまたま会った懐かしい奴と一緒に遊んで、楽しかったという話です」
と竹を割ったようにシンプルに言い切るところが、ここちよい。
神原が阿良々木に髪の毛を切ってもらう最後の場面で、ひとつ精神的に成長した彼女に対して、阿良々木がかける言葉が優しい。神原でなくても惚れてしまいそうだ。
そして、小さなエピソードとして語られた、自分探しのために世界を放浪し、紛争地帯のNGOに参加して、地雷が埋まっているオフロードで軍用車を転がしているらしい羽川翼にも。
*5月31日からアニメの放映が決定いしたらしい。
アニメの感想は以下の通り
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