2012年1月30日月曜日

「待つ」ということ/鷲田清一

宮本輝の「春の夢」のあとがきに、作者が、この恋愛小説は今のように恋人同士が携帯電話ですぐに連絡を取りあうことができる環境では成立し得なかった小説でしょう、というようなことを書いていたのを覚えている。

確かに一昔前、私たちの生活には「待つ」場面が多かった。

遠くの人からの手紙を待ち、受験の合格発表は電報が届くのを待ち、見逃した映画やドラマは、テレビで再放送されるのを待ち、付き合っている異性から電話が来るときは、電話が鳴ったとき、家族の誰よりも早く受話器をとらなければと家の電話機のそばで落ち着かない時間を過ごした。

待つ間、待つ人には様々な思いが過ぎる…期待、希望、倦怠、疑念、失望、祈り…

でも今は、インターネット、メール、レンタルビデオ、携帯端末…私たちは欲しければ、いつでも、何処でも待たずにすぐに、ほしいものにアクセスする。

鷲田清一の『「待つ」ということ』は、そんな「待たなくてよい社会」「待てない社会」に対する穏やかな反論の書であり、前にこのブログで取り上げた「聴くことの力」と「だれのための仕事」の続編にあたる書だ。

19の章で、色々な視点から「待つ」ということが検証されていているのだが、

個人的には認知症患者がしばしばとる行動の原因を「コーピング」(これまでどおりの「じぶん」を保ち続けることができない本人が何とか切り抜けようとするやむにやまれぬ戦略)という概念を使って説明している部分に特に興味を引かれた。

とかく、認知症患者に対しては周りが異常な目で見てしまうことが多いが、それは当人たちも気づいており、何とか自分を正当化するためのやむを得ない手段であることがはじめて理解できた。

また、そういった認知症患者のケアに関する考え方として、ひとつの挿話とともに以下の考え方が紹介されている。
ケアにおいて、重要なのは、相手に問題を直視させることや、問題を解決することではなく、痴呆が問題となる場から、すり抜けることではないか…「痴呆」ケアにおいて重要なのは、…問題の転換ないし消失なのであって、それには、ふとしたはずみで起こってしまう「パッチング・ケア」…そう、ケアと言うことさえはばかられるような些細な行動の「つぎはぎ」によって、現実のケアはなりたっている…
作者は、そのようなケアの姿勢を、陶工が瀬戸物を窯に入れて焼き上がるのを待つ行為に似ているという。
何かを創るという意思はかえって邪魔である。…土をこねる。何度も、何度も、飽くことなく土をこね、そして焼く。「一人の作者に期待し得ぬような曲折」 が現れるまで、偶然に身をゆだね、待つ。
偶然に身をまかせ、「待つ」ことすら放棄しているような、でも、何かが変わることを願いながら、日々の生活を淡々と反復する。

「待つ」とは、こんなにも深い行為だったのだ。

2012年1月29日日曜日

会議・カイギ・懐疑

政府の原子力災害対策本部の議事録が一切作成されていなかったことが、国会でも、大きな問題として取り上げられている。

この問題ひとつとっても、今回の原発事故に対する政府対応のまずさ、不誠実さが分かるが、この問題について、まじめに書くと精神的に良くないので、個人的な話に転じます。

仕事柄、昔は、議事録を書くことが多かったのですが、ICレコーダーを使ったことは、ほとんどありません。

よく、議事録を書くのに、会議が終わった後、テープ起こしを一からやっている人がいますが、あなたは、会議中、何をしていたのという感じがします。

それに、同じ話を2回聞く苦痛(そんな面白い話をする会議は九分九厘ありません)もある。

特に、ビジネスの議事録なんかは、誰が何をいったのか、事こまかに書いても、ほとんど意味がなく、いつ、誰が集まって会議をしたのかという点と、会議の決定事項と、その決定のプロセスが分かる主な発言の要旨が書いてあれば、十分ではないかなと個人的には思っています。

(もっとも、今回の原災本部の議事録なんかは、誰が何を言ったかが重要なのでしょうね。こういうものについては、議事録が改ざんされても後日分かるように、ICレコーダーを使う意義はあると思います)

会議中も、色々なひとがいる。特に「ダメ会議」になると多種多様だ。

目をつぶって、寝ているのか、瞑想しているのか分からない人 。
スマートフォンをいじる人。
ノートPCを持ち込んで、ひたすら画面から目を離さない人。
最初の10分だけ顔を出し、別の会議があるのでと言って、抜け出す人。
何も言わずに会議室を離れて戻ってこない人(タバコでも吸っているのだろうか)。

不幸にして、そういう会議に参加することになったら、早めに別の用事のふりをして抜け出すか、変わった動物がいるなぁという感じで人間観察に徹するか、どちらかですね。

2012年1月27日金曜日

grappa & calvados

たまにだが、お洒落なフレンチレストランで食事をすることもある。

メインも平らげ、満腹になると、大概、女性はデザートを頼む。

アイスクリーム、シャーベット、プリン、ケーキ。そして、コーヒーか紅茶。

しかし、自分としては、スパークリングワインからはじまり、白・赤ワインも楽しみ、いい具合に酔っぱらってしまうと、簡単に酔いをさましたくない。

なので、だいたい、グラッパか、カルバドスを、頼むことにしている。

グラッパは、イタリアのお酒で、ワインを造ったあとに残る葡萄の搾り粕を蒸留したブランデーの一種。
カルバドスは、フランスのカルバドスで作られているリンゴを原料にしたブランデーだ。

どちらも、アルコール度数が30度以上の強いお酒で、飲むと胃の中がスッキリする。

ワイン同様、種類が多いので、最初に注文すると、お店によっては、色々な形のボトルをテーブルにならべて、 それぞれの特色について説明してくれる。それを聞きながら選ぶ過程も楽しい。

二杯、三杯とお代わりするようなお酒ではないのだが、お店の人も知ってか知らずか、大体、ボトルをテーブルに置いていくので、ついつい…最後にもう一杯ということがある。

でも、自分では飲みすぎたかなと思っても、本当によいお酒は不思議と悪酔いしません。

もちろん、それなりの値段はしますが、安いお酒で悪酔いして翌日を無駄にすることを考えると、結果的にはちゃんとペイできている、と自分で自分を納得させています。