2022年7月3日日曜日

ナチスのキッチン 「食べることの環境史」/藤原辰史

 題名に面白さに手を取ってみたが、台所というどこの家にもある一見ありふれた場所が、どのような進化(変化?)を遂げてきたのかというテーマを、その変化に無視できない影響を与えたナチスドイツ時代の取り組みを紹介していて面白かった。

なぜ、ドイツかという点で言えば、ドイツは第一次世界大戦期に約七十六万人という餓死者を出し、1930年代には再び食料危機に悩まされていた点から、食べ物のインパクトが一際大きな国だった。
加えて、ナチス時代は、いい意味でも悪い意味でも徹底した「合理化」が求められた時代だった。その合理化の波は、家庭の台所というプライベートな場所にも及んだ。

アメリカの機械技師であるフレデリック・ウィンスロー・テーラーが提唱した「テーラー主義」は、分かりやすく言えば、目分量ではなく科学主義を、生産の最大化、最大の能率化を目指したものだった。ドイツは、アメリカと並んで二十世紀前半の産業発展をリードしてきたが、「テーラー主義」のもっとも熱烈な受容国のひとつであったという。

そして、台所の進化に大きく寄与したのが、次の三人の女性というのも興味深い。

一人目は、ヒルデカルト・マリギス…消費者運動の先駆け。主婦向けの消費者相談所を設立。企業と主婦を結び付ける役割を果たし、電化キッチンを使用したレシピ本を出版。家庭用電気製品の導入促進を進めた。母親はユダヤ系であったこともあり、反ナチ運動に身を投じ、最後には女性刑務所で拷問の末、死亡。

二人目は、エルナ・マイヤー…カリスマ主婦のプロトタイプ。「新しい家事ー経済的な家庭運営の指南書」を執筆し、ベストセラーに。機能的な小型キッチンもデザイン担当した。ユダヤ人であった彼女は、イスラエルに移住し、ナチスの迫害を逃れた。

三人目は、マルガレーテ・リホツキー…建築家。「テーラー主義」に基づくシステムキッチンを設計。システムキッチンはドイツのみならず、世界各地で模倣されるようになる。彼女も反ナチ運動に身を投じ、ゲシュタポに逮捕され、監獄に収監されたが、敗戦後解放され、死刑台から生還した。

いずれも反ナチの三人の女性がその能力を発揮することで、意図せずに、ナチスが求めた台所の合理化に貢献したというのは皮肉な事実というほかない。

ナチスは女性を「第二の性」とし、「第一の性」である男性に奉仕すべき存在と蔑視していた。その女性たちに「食」という人間の活動の基礎の無駄を省く重要な役割を求め、後世振り返ると大きな進歩が得られていたというのも皮肉な話である。

しかし、彼女たちの立場に立てば、その当時のドイツは飢餓と戦争の時代だった。

「最大限の節約に心がけつつ、栄養が豊富にあり、おなかも一杯になり、味わい深い料理を食卓にもたらすこと」を目指して彼女たちが発揮した能力は、多くの一般のドイツ国民を救ったことだろう。

本書のあとがきに、食の機能主義が行き着いたところが「瞬間チャージ」と言われる栄養機能食品であったことや、豪華なシステムキッチンをインテリアだけで、ほとんど使用しない話に触れているが、食糧不足が喫緊の問題となっている今、「台所」の復権は再度起こりうるのだろうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿