この本のまえがきが面白い。
作者は、今の日本社会で人々が、しだいに「不寛容」になってきており、「尖った言葉」が行き交っていることを気にしており、最も欠けているものはちょっとした「親切」であると述べている。そして、作者は「どうやったら親切になれるか」ということをずっと考えてきた。
それにもかかわらず、作者がこの本で悪口ばかり書いているのは、「尖った言葉が行き交う現代日本社会を憂えて、人に親切にしようとする男が思い余ってつい「尖った言葉」を口走ってしまう」典型的な事例と述べている。
そのようなエクスキューズ(弁解)を意識しながら、この本を読むと、確かに悪口が多い。その大半は、安倍・菅政権に向けられているのだが、その実、この政権にNOを突きつけず、結果として受け入れてきた日本社会に対する深い失望を感じることができる。新型コロナパンデミックという忖度や改ざんが効かない本当の危機が彼らの無能を証明し、退陣ということになったが。
(本書では、コロナを奇貨として、地方で暮らすことの選択や本当の天職を見つける機会ができたこと、大学がいかに今まで生徒を個体識別してこなかったこと(弱者を顧みない教育を行ってきたこと)を述べ、オンライン授業により、欠席者を把握し、フォローすることが可能になったことで、生徒ひとりひとりを認知し出したという良い傾向がある点も述べている)
「コロナ後の世界」という表題の小文を読むと、「民主制は独裁制よりも危機対応能力が低い」という懸念について、「独裁制は短期的にはたいへんうまくゆくことがあるが、長期的に見た場合に、歴史的な変化や地政学的な変化に対応して、そのつど変身を繰り返すことが原理的にできない」と述べ、他方「民主制は生き延びるために国民に「大人になること」を求めるから、そういった「大人」が一握りでもいれば、破局的事態を迎えても、復元力の強い、臨機応変の国ができる」と述べている。
そして、そのためには「大人」を育てることが民主制(をとる日本)にとって喫緊の国家的課題であると。(内田氏はその「大人」の数をせめて7%いればと言ってる)
本書の後半パートでは、亡くなった大瀧詠一、橋本治、加藤典洋の各氏に対する追悼文が載せられていて興味深かった。とりわけ、内田樹氏が大瀧詠一の大ファンだとは(大瀧詠一の音楽知識の深さについても)知らなかった。
「吉本隆明1967」も内田樹氏の若かりし日の過去(不良化→中卒労働→大検)が直截的に述べられていて、興味深かった。
内田樹氏のこういった個人的なエピソードは初めて読んだような気がする。そのせいもあってこの本のイメージが岸田秀氏の「ものぐさ精神分析」と少し似ているなと思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿