2021年5月24日月曜日

みっちんの声/池澤夏樹

池澤夏樹が、2008年から2017年、約十年間に行った十数回の対話集が収められている。
石牟礼道子の育った環境や家族のことが書かれていて、興味深く読んだ。

石牟礼道子が、他人が書いた小説をほとんど読まず、彼女の文学の源泉が、彼女が幼い頃、彼女の家に集まって交わされる大人たちの話し言葉だったというのは面白い。
彼女は「苦海浄土」を書いているとき、「見えない袋からひゅっと絞り出す」と表現しているが、その記憶にあった村の言葉や家の言葉を思い出しながら文章を書いたという。

しかし、幼い頃の彼女の記憶がそれほど鮮明に残っていたというほうが、驚嘆すべきことなのかもしれない。

もう一つ面白いのは、池澤夏樹が石牟礼の作品を読んで、自分は魂の問題を扱えない、それらしい事しか書いていない、「文学ごっこ」しかしてこなかったと、繰り言のように石牟礼に述懐しているところだ。(2012年5月19日の対談)

池澤夏樹が、当時、被災した東北を目の当たりにして、自分も「椿の海の記」のような作品を書いて、東北の人々の歴史や暮らしを再現したかったという思いが感じられる。
しかし、一方で、石牟礼道子と自分の文学の成り立ちがまるで違っていて、決して真似することもできないということにも気づいていて、その思いを石牟礼と対話することで自分を慰めているようにも見える。

最初は多くを語っていた石牟礼が、病気のせいで段々と言葉少なになり、対話の時間も短くなっていくのがせつない。

しかし、その限られた時間さえ、池澤夏樹にとっては至福の時間だったに違いない。

2021年5月23日日曜日

無垢の歌 ウィリアム・ブレイク/池澤春菜・池澤夏樹 訳

この詩集を読むまで、ウィリアム・ブレイクが、こんなに真っ当なポジティブな詩を書く詩人だとは知らなかった。

同時に、これほどキリスト教のピューリタン的な「無垢」という価値観に依った詩だということに驚いた。

池澤春菜の訳は、神や宗教をあまり感じさせないポップな感じの軽いタッチの訳し方で、ブレイクの詩の持つ本来の明るさをうまく伝えているような気がした。

そして、それに父親の夏樹が、詩の背景・意味を解説するという構成もよい。

ストレートな善のパワーを感じる詩というのも、いいものだと思った。
(今、こんな詩を書く人はいるのだろうか)

*はずかしながら、私のウィリアム・ブレイクの知識は、ジム・モリソンが、ブレイクの詩集「天国と地獄の結婚」の一節 ”If the doors of perception were cleansed, every thing would appear to man as it truly is, infinite.”(知覚の扉が清められたら、すべてのものはありのままに無限に見えるだろう)から、ドアーズの名前をとったことぐらいしか知らなかった。

ドアーズの印象に引きずられて、ドラッグに関わっているような詩人のイメージを持っていました。。



2021年5月22日土曜日

されく魂 わが石牟礼道子抄/池澤夏樹

池澤夏樹が十数年にわたって書き続けてきた石牟礼道子論。
読んでいて感じるのは、池澤がとにかく石牟礼道子の作品の魅力をあまねく知ってもらおうと渾身の力を振り絞って書評を書いていることだ。

本来はそれが理想の書評というものなのかもしれない。
何度も何度も繰り返し同じ作品を読んでは、その魅力を解き明かそうと努め、また読み直しては欠落していた部分に気づき、時にはそれを恥じて、改めて書き直す。

池澤夏樹は、個人編集の世界文学全集に、石牟礼道子の「苦海浄土」を、日本文学全集に、「椿の海の記」などを入れている。

こんな編集をした全集はかつてないし、池澤夏樹の思い入れの深さが分かる。

彼がここまで石牟礼道子の作品を高く評価している(というより愛している)理由は、弱者の視点からの文学という特徴もあると思う。しかも、その弱者は、石牟礼が生み出した美しい人間らしい豊かな言葉で、かつての水俣の海を、人々の様子を話す。

そして、実は、その弱者こそが本当の人間で、彼らを貶め、阻害し、退けようとした国や会社や社会の制度こそが「非人間的制度」だったというパラドックスが立ち現れる。

池澤夏樹は「苦海浄土」をこんな風に説明する。

制度の側に立つ人々がひたすら患者との対面を避け、制度の中に立てこもろうとするのに対して、患者の方は相手を人間として自分の側に回収しようとするのだ。どうしてそのようなことが可能なのか、人間に希望があるとすればまさにこの一点。制度の壁を越えて、顔もなく名もなき、職名だけの相手にも人間を見ようとするおおらかな、彼ら自身が笑うごとくどこか滑稽な姿勢の中にこそあるとぼくには思われる。

水俣に始まり、生涯、熊本さえ訪れる機会のなかったはずの漁民たちが患者代表川本輝夫に率いられ「非人」となって東京へ行く。天子さまの都に上る。東京駅の前に坐り込み、最後はチッソの社長室に至る。巡礼行は実は出世双六であったという笑うべき展開。あまりの悲惨さに『苦海浄土』はしばしば滑稽になる。笑うしかないという事態に行き当たる。

水俣病の前にあった幸福が感じられる「椿の海の記」についても、四歳のみっちんが実は同年配の友人がほとんどおらず、いつも山や海という「異界」で遊んでいた孤独を持っていたこと。そんな異界に属する者であったからこそ、水俣病の患者たちに対して、高い共感能力を示すことができたという点も興味深い。

録音機もなく、メモも取らず、数回しか会っていない患者の思いをあの文体で書いたことについて、「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」と石牟礼が言い切ったという。

あの美しい話ことばが、高い共感能力と文章力を備えた石牟礼を通して生み出されたことを思えば、「苦海浄土」は、ルポルタージュ、ノンフィクションではなく、まぎれもなく文学作品だ。

石牟礼は幼い頃、水俣の村の老婆に、眸をのぞかれ、「この子は、…魂のおろついとる。高漂浪(たかざれき)するかもしれんねえ」と宣託されたという。

タイトルにもなっている「されく」は、水俣のことばで、魂がさまようことをいう。それに、石牟礼道子が「漂浪く」という漢字をあてた。

美しさと悲しさが入り混じった、石牟礼道子という人にふさわしい言葉だ。