2016年8月20日土曜日

沖縄 空白の1年 ~“基地の島”はこうして生まれた~ /NHKスペシャル

1945年6月から1946年にかけて、沖縄に、普天間飛行場、嘉手納飛行場など、米軍基地が作られた経緯と背景を取り上げていた番組で興味深かった。

1945年6月、多くの民間人が犠牲となった沖縄戦の後、約30万人の沖縄の人々は、平野にあった自分たちの村から追い出され、山間部の強制収容所に収容された。

アメリカが日本本土を攻撃する滑走路を建設するため、平野部にいた住民を追い出したのだ。

手足を伸ばして眠れない四畳半ほどの狭いスペースに押し込まれ、食料も満足にない、伝染病が蔓延する環境の中、約6000人の人々が命を落としたという。

1945年8月の日本降伏後、本来であれば、それは不要になるはずであったが、統合参謀本部のマッカーサーは、滑走路のアスファルト化を推し進める。中国・ソ連といった共産主義国の前線基地として沖縄を利用しようとしたのだ。

ようやく収容された人々が解放され、自分の村に戻ってみると、そこは米軍の飛行場になっていた。
自分たちの食料をつくり出す農地も無くなり、仕事も失った人々を、米軍は基地の労働力として利用し始める。無償で配給していた食料も有償化し、「B円」(米軍の軍票)を発行して、基地で働かざるを得ない環境を作りだしていった。

日本では評判のいいマッカーサーだが、日本本土にいた約10万人の沖縄出身者を強制的に沖縄に戻す計画を立案し、実行する。理由は、「日本本土に在住する沖縄人は本土に依存しており、本土復興の妨げになっている」という冷徹なものだった。

民主主義を謳歌する本土から沖縄に戻った人の言葉が突き刺さる。
「沖縄には民主主義がなかった。沖縄は軍事基地だった」と。

日本政府は、沖縄を日本の領土として認めてくれるならば、基地を作ることには反対しないという姿勢だった。

そんな日本政府(本土)を見て、マッカーサーが放った言葉が今日に至る沖縄問題の本質を言い当てている。

「日本人はアメリカによる沖縄占領に反対しない。何故なら沖縄人は日本人ではないからだ」と。

https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160820

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