2016年8月28日日曜日

日本語のために/池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 30

池澤夏樹 個人編集の日本文学全集は、従来の日本文学全集とは全く趣きが異なっている。

一般的な日本文学全集は、ほとんどが明治以降の文学を取り上げるのが常であるが、この全集では、はるか古事記まで遡り、全巻の半数以上に、明治以前の古典作品を取り上げたことだ。

しかも、ただ掲載するだけではなく、現代の力のある小説家たちに現代語訳され、今の読者が読みやすい形で、いわば、現代文学と並列な状態で提供している。

その現代語訳の力もあるだろうが、結果的に、読者は、古典文学と現代文学が連綿と継続し、今日に至っているのが、日本文学であると感じることになる。

そういった背景を考えると、普通であれば、日本文学全集には存在しない、日本語とは何かという大きなテーマを取り上げた本書が、全集にあっても不思議ではない。

池澤夏樹は、この全集の締めの30巻において、日本語の歴史をはるかに遡り、現代日本語に至る進化(退化?)の過程を敷衍するためのさまざまな文章を集めた。

目次を見るだけで面白い。



上記10の収録作品が切れてしまっているが、文法なんか嫌い/大野晋 と 私の日本語雑記/中井久夫 も収められている。

まず、宗教の書物を取り上げているのが、なんともユニークだ。
仏教もキリスト教も、言語は、漢文、英語だから、翻訳もついている。

伊藤比呂美の「般若心経」は、非常にプレーンな現代語訳になっている。
マタイによる福音書のケセン語(岩手・宮城の気仙地域)訳は、方言を用いると、こんなにも説話がリアルにもなるのか、と驚いた。

琉球・アイヌといった辺境の言葉を取り上げているのも、池澤夏樹らしい。
琉歌という和歌が存在しているとは、これまで全く知らなかった。
アイヌ語は日本語とはまったく系統が違う言語であることもよく分かる。

個人的には、やはり、日本語の欠点・短所を鋭く突いている以下の文章が、非常に参考になった。

 9 政治の言葉 の
  言葉のお守り的使用法/鶴見俊輔、
  文章論的憲法論/丸谷才一

 10 日本語の性格 で取り上げられている全ての文章

特に、 丸谷才一の「文章論的憲法論」は、相変わらずの明晰な文章で、明治憲法(大日本帝国憲法)と日本国憲法を文章論から比較しており、日本国憲法の改正の動きがある今読むと、なかなか味わい深い。

また、大野晋の「文法なんか嫌い」の「は」と「が」の使い方を読んで、あらためて、自分の文章が読みやすさを欠いた表現をしていることに気づかされた。

いきなり、1 古代の文体 から読まずとも、興味のあるところから読み進めればよい。
買って損なしの一冊だと思う。

2016年8月21日日曜日

映画 傷物語Ⅱ熱血篇

Ⅰ鉄血篇から、はや7ヶ月。

懲りずに、Ⅱ熱血篇を観た。

キャラクターの描き方、夜をメインにした都会の薄暗い街の風景、だだっ広いホテルの廃墟のような学習塾跡、異常に広い直江津高校の校庭などの描き方、神前暁のボサノヴァ風の音楽も、前作同様といった感じで、今回特に感じるところはなかった。

物語も、三人の吸血鬼ハンター、ドラマツルギー、エピソード、ギロチンカッターと暦の闘いがメインで、あまり物語としての深みはなかったと思う。

唯一、厚めに描かれていたのは、暦と羽川翼のとりとめもない会話のシーンで、 翼のパンツの話や、暦が買ったエロ本や細マッチョな体の話など、お互いの性を意識するような内容が散りばめられており、見ているこちらとしては若干気恥ずかしくなるような初々しさだが、まあ、十代が見るアニメとしては妥当な内容なのだろう。

今回唯一面白いと思ったのは、ドラマツルギーから取り戻したキスショットの体(足)が入っていたのが、“MADISON SQUARE GARDEN”のバッグだったということだ。(羽川翼が暦に着替えを差し入れた バッグも同様)

この懐かしさは、往時の流行を知っている世代だけのものかもしれない。
(しかし、最近は全く見かけなくなったなぁ)

エンドロールの最後に、Ⅲ 冷血篇の声だけの予告あり。(2017年1月6日公開らしい)

それと、入場者には、「混物語 第病話 くろねこベッド」と題した小冊子が配られた。
阿良々木暦が、吸血鬼となった春休み以降、体育の時間中、怪我をして保健室に行き、そこで、病院坂黒猫から、暗号文の解読を依頼されるというショートショートが書かれていた。
(タネ、オチともに、それほどの内容ではないところが、おまけにぴったり)

2016年8月20日土曜日

沖縄 空白の1年 ~“基地の島”はこうして生まれた~ /NHKスペシャル

1945年6月から1946年にかけて、沖縄に、普天間飛行場、嘉手納飛行場など、米軍基地が作られた経緯と背景を取り上げていた番組で興味深かった。

1945年6月、多くの民間人が犠牲となった沖縄戦の後、約30万人の沖縄の人々は、平野にあった自分たちの村から追い出され、山間部の強制収容所に収容された。

アメリカが日本本土を攻撃する滑走路を建設するため、平野部にいた住民を追い出したのだ。

手足を伸ばして眠れない四畳半ほどの狭いスペースに押し込まれ、食料も満足にない、伝染病が蔓延する環境の中、約6000人の人々が命を落としたという。

1945年8月の日本降伏後、本来であれば、それは不要になるはずであったが、統合参謀本部のマッカーサーは、滑走路のアスファルト化を推し進める。中国・ソ連といった共産主義国の前線基地として沖縄を利用しようとしたのだ。

ようやく収容された人々が解放され、自分の村に戻ってみると、そこは米軍の飛行場になっていた。
自分たちの食料をつくり出す農地も無くなり、仕事も失った人々を、米軍は基地の労働力として利用し始める。無償で配給していた食料も有償化し、「B円」(米軍の軍票)を発行して、基地で働かざるを得ない環境を作りだしていった。

日本では評判のいいマッカーサーだが、日本本土にいた約10万人の沖縄出身者を強制的に沖縄に戻す計画を立案し、実行する。理由は、「日本本土に在住する沖縄人は本土に依存しており、本土復興の妨げになっている」という冷徹なものだった。

民主主義を謳歌する本土から沖縄に戻った人の言葉が突き刺さる。
「沖縄には民主主義がなかった。沖縄は軍事基地だった」と。

日本政府は、沖縄を日本の領土として認めてくれるならば、基地を作ることには反対しないという姿勢だった。

そんな日本政府(本土)を見て、マッカーサーが放った言葉が今日に至る沖縄問題の本質を言い当てている。

「日本人はアメリカによる沖縄占領に反対しない。何故なら沖縄人は日本人ではないからだ」と。

https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160820

2016年8月1日月曜日

一寸法師後日譚/大岡昇平 日本文学全集 18

大岡昇平が書いた昔話のパロディのような作品だ。

物語は、作者が、一寸法師を読み、打ち出の小槌で一寸法師が大きくなり、

「出世した一寸法師ほどつまらない存在はない。恐らくその妻となった宰相の姫君も、同じに感じたことはなかったろうか。」

と空想にふけるところから始まる。

一寸法師は、堀川中納言と名乗り、格好も年相応に腹も突き出た恰幅のよい姿になり、殿中の政治事にも抜け目なく立ち回りができる大人の男になっている。

そういう実務的な一寸法師に満たされぬものを感じている奥方に、入野少将という色好みの聞こえの高い若い男が言い寄る。

奥方が、昔の一寸法師の惚気話をしたところ、この少将が、是非、一寸法師になって奥方の歓心を買いたいと申し入れたため、奥方は小槌を打ち振るい、少将は本当に一寸法師になってしまう。

ここからは、 少将の悲劇(艶笑話)なのだが、大岡らしく、人が一寸ほどの大きさになると、女性の肌の表面や体毛、肌のぬくもりをどんな風に感じるのかをリアルに描いている。

やがて、事態がどうしようもなくなり、最後に本物の一寸法師である堀川中納言が解決してくれるのだが、彼が神の国への立ち去ってしまう理由を

「平安朝の感傷主義と恋愛三昧を見て、人間共に愛想を尽かし...」

と述べているところが笑える。

一寸ほどの極小の男の目を通した巨大化された女性の体との関係は、どこか卑猥なイメージを連想させる力があるのかもしれない。

倉橋由美子の 『大人のための残酷童話』でも、一寸法師を取り上げていて、こちらも、艶笑話的な内容になっているので、読み比べてみるのも面白い