一般的な日本文学全集は、ほとんどが明治以降の文学を取り上げるのが常であるが、この全集では、はるか古事記まで遡り、全巻の半数以上に、明治以前の古典作品を取り上げたことだ。
しかも、ただ掲載するだけではなく、現代の力のある小説家たちに現代語訳され、今の読者が読みやすい形で、いわば、現代文学と並列な状態で提供している。
その現代語訳の力もあるだろうが、結果的に、読者は、古典文学と現代文学が連綿と継続し、今日に至っているのが、日本文学であると感じることになる。
そういった背景を考えると、普通であれば、日本文学全集には存在しない、日本語とは何かという大きなテーマを取り上げた本書が、全集にあっても不思議ではない。
池澤夏樹は、この全集の締めの30巻において、日本語の歴史をはるかに遡り、現代日本語に至る進化(退化?)の過程を敷衍するためのさまざまな文章を集めた。
目次を見るだけで面白い。
まず、宗教の書物を取り上げているのが、なんともユニークだ。
仏教もキリスト教も、言語は、漢文、英語だから、翻訳もついている。
伊藤比呂美の「般若心経」は、非常にプレーンな現代語訳になっている。
マタイによる福音書のケセン語(岩手・宮城の気仙地域)訳は、方言を用いると、こんなにも説話がリアルにもなるのか、と驚いた。
琉球・アイヌといった辺境の言葉を取り上げているのも、池澤夏樹らしい。
琉歌という和歌が存在しているとは、これまで全く知らなかった。
アイヌ語は日本語とはまったく系統が違う言語であることもよく分かる。
個人的には、やはり、日本語の欠点・短所を鋭く突いている以下の文章が、非常に参考になった。
9 政治の言葉 の
言葉のお守り的使用法/鶴見俊輔、
文章論的憲法論/丸谷才一
10 日本語の性格 で取り上げられている全ての文章
特に、 丸谷才一の「文章論的憲法論」は、相変わらずの明晰な文章で、明治憲法(大日本帝国憲法)と日本国憲法を文章論から比較しており、日本国憲法の改正の動きがある今読むと、なかなか味わい深い。
また、大野晋の「文法なんか嫌い」の「は」と「が」の使い方を読んで、あらためて、自分の文章が読みやすさを欠いた表現をしていることに気づかされた。
いきなり、1 古代の文体 から読まずとも、興味のあるところから読み進めればよい。
買って損なしの一冊だと思う。